この国の現国王の名はクロノスという。 
実の父である前国王を弑逆して王位についた暴君である。

王には王子たちがいなかったわけではないが、彼は彼の血を引く王子が生まれるたびに、我が子の命を即座に奪っていた。
父王を虐殺した時に、前国王が呪うように吐き出した、
『おまえもまた、実子にその地位を奪われるだろう』
という予言を信じて――恐れて。


「国王様の本意ではないと思うんだ。継承者候補はもう一人いるの。南部国境の広大な領地を与えられている侯爵家の……ハーデスという名の青年なんだって。僕よりずっと大人だし、国王様の覚えもめでたいし、ただ血筋だけだと僕の方が上位にあるものだから、形だけでも僕を継承者候補にしなければ理に反すると考えただけなんだと思うの……」

瞬は確かに世の中というものを知らない子供ではあったが、愚鈍なわけではなかった。
情報を与えられさえすれば、その意味するところを的確に理解できるだけの聡明さを持っている。

「僕とハーデスを競わせて、選定の場に列席してる重臣たちに、ハーデスを次期国王にする承認を得るための――僕は、当て馬……なんだと思う。ずっと王宮に入ることも許されずにいて、礼儀らしい礼儀も知らない僕が、王宮で生まれ育ったようなハーデスに敵うわけないのに……」

ハーデスの噂は、氷河もよく聞いていた。
瞬より5歳年長の今年18になる美貌の青年で、噂では、男女問わず色好みのクロノスの閨にはべっているとも聞いている。
王宮で幾度か見かけたことがあるが、瞬が春の陽だまりなら、ハーデスの貌は夜の白い月のそれ。
一癖も二癖もありそうな、怜悧な眼差しを持った男だった。
とても世間知らずの瞬に太刀打ちできる相手ではない。


「……最初からわかりきった勝負なのに」
それは、瞬も承知しているらしかった。

「でも、僕が王子様になったら、僕、氷河をずっと僕の側に置いておくことができるかしら」

現実を承知していても、叶うことのない夢だとわかっていたとしても――、

「瞬様……」

人は夢を見ずに生きていくことはできないようにできているものらしい。

「だって、侯爵家がここまで困窮していなかったら、僕、氷河はあの時、氷河と離れずに済んだんだもの!」

そして、それは、氷河自身もその手にしたい夢だった。

「次期国王に……不可能はありますまい」

文武、礼儀、帝王学、社交術。
時間さえ与えられれば、それら全てを身につけることは、瞬になら可能だろう。
もともと聡明な子ではあるのだ。

「僕、決めた。選定に挑戦してみる」

氷河のその一言で、瞬は決意したらしい。

「氷河、教えてくれる? 学問も剣も何もかも。王になるために必要なこと全て。僕、覚えられるかな?」

「それは、瞬様になら……。しかし、私ごときの手では――」
「氷河は、世情に通じてるし、頭もいいし、この国の王族の振りをして他国の王宮にだって出入りしてるって、以前、お父様が言ってたよ。この国だけでなく、よその国の礼法も心得てるって」

それは事実だった。
氷河は、この国では、反逆者の息子でしかなかったが、各王家の事情を探るために侵入している他国の宮廷では、この国の前国王の庶子の血を引く王族と名乗る許可を与えられていた。
容姿と演じ慣れたそれらしい立ち居振る舞いのために、これまで疑いの目を向けられたことは一度もない。

「僕が王様になったら、反逆者の息子なんて言われ続けてきた氷河の名誉も回復してあげられるよね……!」
「そんなことはもうどうでもいいんです。今の方が俺は――私は気楽ですし」

「僕、氷河といたいの。もう一人ぼっちはいやなの……!」
「瞬様……」

切ない瞳の瞬の訴えに、氷河は抗うことができなかった。






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