「最初は食事だったかな。君にちゃんとした食事を与えることを王に承知させるために、公爵は、自分から、王の前で服を脱いでみせたわけさ」 「次は着替え。風呂。やわらかい寝台。陽の当たる風通しのいい部屋。君の待遇が良くなるたび、公爵はあの男に娼婦まがいの行為を命じられて、その情欲を満たす道具にさせられて──」 「ほら、騎士殿。どうだ? あんたは、おそらく、この国で最も高貴な魂の持ち主に愛されている、世界一幸運な男だ。自分の幸運を喜ぶがいい」 自虐的に、ハーデスは言い募った。 ハーデスがその部屋に氷河をひとりだけにしたのは、何よりも彼自身が、瞬と王とのやりとりを聞いていたくなかったからだった。 瞬は、それまでが無垢すぎたためなのか、まるで砂に水が染み込んでいくように王の手管に慣らされていった。 泣き声に艶が帯びるのも、愛撫に肌が馴れるのも、あっと言う間のことだった。 王は、瞬の身体の――その内側も含めて――成熟度と、まるで変わろうとしない心とのアンバランスに気を惹かれたらしく、昼夜を分かたず、瞬を苛むことに熱中していた。 言葉では嫌がり、逃げようとさえするその身体を無理に押し開いてみると、そこはすっかり男を迎え入れるために熱くたぎっているのだから、王にしてみれば、これほど楽しんで責め苛める玩具もなかっただろう。 王がもし、瞬に怖れを与える人間でなかったならば、今の瞬は、その男の手で頬に触れられるだけで甘い吐息を洩らし、唇を求め、無意識のうちに身体を開きかねなかった。 「王は……あの下種野郎は何を――俺の瞬様に何をしたんだっ」 公爵の下僕は、それを、瞬が生来その身の内に潜ませていたものだとは思いたくはないらしかった。 瞬の意思を曲げ、身体を変化させる何らかの外的要因が──それこそ、薬でも幻術でも──あったのだと思いたいらしい。 氷河が、身分の壁を越えてしまうことのないように、瞬を汚すことのできない清廉潔白の者だと思おうとしていたのか、汚すことのできない瞬の清廉潔白さを怖れて、殊更身分の差を言い立てていたのかの判別が、それまでハーデスにはついていなかった。 だが、瞬より身分の高い王が瞬を我が物にするのに憤るというのなら、氷河が自身の中に形成していた禁忌の理由は後者の方だったのだろう。 これは、氷河を牢に繋ぐことになった事件とは事情が違う。 王は、瞬の意思を無視して暴力を振るっているわけではない。 だが、氷河は激昂する。 それは、氷河こそが本当は── 「王は、本当ならあんたが公爵にしたがっていたことをしただけさ。そして、その機会を与えたのは、どこぞの馬鹿野郎だ」 「…………」 ハーデスの言う通りだったのだろう。 氷河はハーデスに何も反駁してこなかった。 ただ、無言で、石の部屋を出て行こうとした。 「どこに行く」 「殺してやる……今度こそ本当に殺してやる、あの下種を」 「その前に愚かな自分をどうにかしたらどうだ」 「ああ、俺自身も殺してやるさ。あの男を殺してから」 目に憎悪の光が宿っている。 ハーデスはごくりと息を飲んだ。 今、氷河を突き動かしているのは、瞬に加えられた暴力への怒りではなく、嫉妬だった。 氷河か瞬の、こういう姿を、ハーデスは見たかったのである。 瞬を哀れと思う一方で、氷河のその様子に、ハーデスは背筋がぞくぞくするほどの高揚感を覚えていた。 「それは結構。だが、あんたにあの男を殺させるわけにはいかないな。今はあんたに与えられた場所に戻った方がいい。今、あんたがあそこに行ってみろ。公爵が悲し――」 「貴様の指図は受けん!」 部屋に引きとめようとするハーデスを、氷河は大声で怒鳴りつけた。 隣室に誰がいるのかも忘れているような氷河の怒声に、ハーデスは口許を引きつらせた。 氷河に注意を促すために、声を低く小さくする。 「……騎士殿。あんたはもっと利口な男のはずじゃなかったのか? 私はそう聞いていたぞ。そこいらの学者はだしの教養があり、頭の回転も速く、いつも冷静で、仕事で失敗をしたこともないと。それが公爵が絡むと、まるで4、5歳のガキと同じだ。少し冷静になったらどうだ。今ここであんたがあの二人の前に飛び出て行ったら――」 「俺が利口だったことなど、これまで一度もなかった!」 「おい、貴様、いい加減にしろよ!」 人間、賢人を見習って自らを高めることは難しいが、愚者に習うのはこの上なく容易である。 ハーデスは氷河につられるようにして声を荒げ、当然の帰結として、それは王の耳に届いた。 |