恋する悪魔 《後編》





瞬は、それで幸せだった。
そして、氷河もそうだったのだろう。

だが、人間は一人では――あるいは、二人きりでは――生きていないものなので、一人きりの――あるいは、二人だけの――幸せというものはありえない。
絶海の孤島や、人界から隔てられた極北の地に、孤独に暮らしているのでもない限り。



「……八方手を尽くしてみたのだけど、氷河が見付からないの」

白い悪魔に与えられた天国から現実に、瞬を引き戻したのは、沙織のその言葉だった。

沙織の言葉を聞いた星矢と紫龍が訝しげに眉をひそめ、顔を見合わせ、それから、“氷河”を抱きかかえている瞬を見る。
小犬の耳に頬で戯れていた瞬は、二人の仲間の視線に――それは悪意など微塵も含まれていないものだったのだが――全身を強張らせた。

瞬には、それが、現実の世界に生きている人間たちが、自分と氷河を元の世界に引き戻そうとしている──二人だけの世界を壊そうとしている──もののように見えた。
瞬の目には、星矢と紫龍こそが、悪魔の使いに見えてしまったのである。

仲間の身を案じている、この心優しい悪魔たちをごまかしきれるはずがない──それは、瞬も知っていた。
それでも、瞬は、一縷の希望にすがって、その場しのぎの言葉を口にせずにはいられなかったのである。
「氷河は……一人でいるのが好きだから、きっとどこかで……」

「氷河がほんとは、一人でいるのが大嫌いだってことくらい、おまえ、よく知ってるだろ! 一人になるのが怖いから、奴は一人でいるんだよ!」
案の定、星矢が、瞬の言葉を鋭く遮ってくる。
星矢は、大事な仲間がこの場にいないという現実を見ようとせずに、“ペット”にかまけている瞬に苛立ちを覚えているようだった。

「だが、それも、自分が一人ではないことを、氷河が知っているからこそ、できることだ。こういう時、俺たちが奴を心配し、捜してやらなかったら、氷河のその確信を俺たちが壊してしまうことになる。だから――」
「捜しに行こうぜ、瞬。そんな犬、放っといてさ。そのチビは、ここに置いとけば、沙織さんが面倒みてくれるさ」

星矢たちは、全く正しく健全な考え方と言葉とを駆使し、優しく気遣わしげな目をして、瞬を見詰めてくる。
決して彼等に知らせることのできない秘密を抱えている自分自身が、瞬は苦しく切なかった。

だが、本当のことなど言えるわけがないではないか。
自分の側にいてくれない氷河をどこにもやらないために、悪魔の力を借りて、彼を小犬に変えてしまった──などという、馬鹿げた真実を。

「僕は……」
言えるわけがなかった。
瞬は口ごもった。

それが、星矢の癇に障ったらしい。
「瞬、おまえ、氷河が心配じゃないのかよ!」
「星矢……」
「いい加減にしろよ、瞬!」

煮え切らない瞬の態度に、星矢は早々に見切りをつけたようだった。
「もう、いい! おまえが行かないなら、俺たちだけで行く。おまえは、その犬っころと好きなだけじゃれあってればいいんだ!」

星矢には、瞬が小犬を可愛がっている様は、本当に側にいてほしいものの代替品で自身を慰めているように見えていたのだろう。
そして、ただの逃避としか思えない、仲間のそんな様子は、星矢には、歯痒く腹立たしいことだったに違いない。

「星矢……」

星矢の怒りは当然で正当だということがわかっているからこそ、瞬にはどうすることもできなかった。






【next】