「俺の死後、有馬家を出たキアラは、キリシタンに好意的だった大阪方について、徳川との戦いに身を投じていたらしい。あの美しかったキアラが、血と泥にまみれて──キアラはまだ10代だったのに」

そうして、氷河は神を捨てた。

「なぜ自分が生きているのかということより、なぜキアラが死ななければならないのかと、俺は神を呪った。俺が生き返ったのは、悪魔の力に因るものじゃなく、イエスの復活とも違う。人に裏切りを許さない神の復讐だ。神は、キアラを汚そうとした俺に再び生きている身体を与え、そしてキアラを奪うことで、俺に復讐しようとしたんだ」

今の氷河は、彼がかつて信じていた神を憎んでいるようだった。
僕を組み敷いていた時よりもずっと激しい感情を、その瞳にたぎらせている。
そんなふうに――氷河は、彼のキアラを永遠に失ったんだ。

キアラの亡骸を抱いて呆然としていた氷河は、徳川方の武士にその場で切り殺されたけど、すぐにまた生き返ったのだそうだった。

「俺の金髪は目立ったから、徳川の時代には、幾度も捕らえられ、何度も処刑された。神など信じていない俺が、二度も火あぶりで殉教している。拷問もいろいろと経験したな。もっとも、あれは、身体を傷付けるだけのもので、キアラを汚したくないと煩悶し続けることに比べれば、何ということのないものだったが」
そんな拷問を思いついた人間を、氷河は蔑むように笑ってみせた。


やがて徳川の時代が終わり、明治維新、2つの大戦。
その間にも、氷河は幾度か死を経験したらしい。

「君に会った時、キアラだと思った。キアラの記憶がなくても、キアラの生まれ変わりに違いないと思った。そして、無為な時間を長く過ごしてきた俺の望みは、死ぬことだけだった。だから」

だから?
だからどうしたっていうんだ。

「俺が死なないのは、肉の欲望に囚われているからだ。キアラを抱きしめることのできなかった未練のせいだ。それが成就されれば、死ねるのではないかと思って、俺は君を抱いた」

キアラを語る時の熱っぽさに比べて、僕との夜を語る氷河の言葉の熱のなさ。
それが、僕のプライドを傷付けた。

「結局、何も変わらなかったが」

氷河は変わらなかったかもしれない。
でも、氷河に変えられてしまった僕はいったいどうなるの!

「俺が君を利用したのは事実だから、そんな男が生きていては、君も後味が悪いだろう。だから、君の前で死んでみせたんだ」

何の意味もない、鳥の羽毛ほどの重みもない彼の“死”で、それをあがなえると考えたのなら、氷河は浅はかだ。
そして、冷酷だ。

“死”は何も解決してくれないのに。
人の心が負った傷は、“死”なんかでは癒されないのに。





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