Beyond Innocence

[I]







地上は春。
春の庭では、幼い子供たちが歓声をあげて走りまわっていた。
彼等の魂はどれも、未だ無垢と言って差し支えない白さを持っている。


彼はそれを『白』という言葉で考えたが、それらは実際に白いわけではなかった。
まだ汚れておらず、そして まだ輝いてもいない――それを彼は『白』という言葉で表したのだ。
「人の世にはタブラ・ラサという言い回しがあるそうですね。人の心は生まれた時には“何も書かれていない板(タブラ・ラサ)”と同じで、経験を重ねることによって、その板には様々な文字が書き込まれていく。これから、あの子供たちの魂は徐々に汚れていくわけだ」

「汚れるばかりとは限るまい」
燃え盛る炎のように赤い髪をした若い神の言葉を受けて、夜の闇のような風情をした神は、低く囁くような声音で言った。
人間という存在がどういうものであるかを 人間が考えることほど愚かな行為はない――そう考えているらしい赤い神に、全く同感しないというわけではなかったのだが、それでも彼と赤い神の 人間に寄せる思いには決定的な違いがあった。

両者共に、人に“神”と呼ばれる存在である。
『若い』というのは、あくまでも二柱の神を相対的に見た場合の話で、彼等は二人とも 人間の一生を100度繰り返すより長い命を生き続けてきたものたちだった。
が、より若い神は、実際に、若さゆえの傲慢と浅慮を持っていた。
人間の心に価値を置かぬ冷酷と、人間に対する神の優越の確信。
その二つをその身に備えている若い神は、それゆえに迷いがなく、人間には恐ろしい神だったろう。
対して、闇の風情の神は、少なくとも人間という非力な存在を哀れむ心を持っていた。
二柱の神は、その容姿も対照的であったが、それ以上に価値観が正反対だったのだ。

若く傲慢な太陽神は、伯父である冥府の王の反論を軽く聞き流し、ただ薄く笑うことだけをした。
「で、あなたが選んだのは――」
漆黒の神に『あの子供』と示される前に、彼は一人の子供に目をとめた。
少し年かさの子供の陰から、乱暴な遊びに興じている仲間たちを、心配そうに見詰めている子供。
その姿を見て、若い神は不機嫌な表情を作った。
「あの子供ですか?」
アポロンに問われたハーデスが頷く。

ハーデスが選んだ子供は、未だ個々の区別がつかないほど『白い』魂たちの中で、特に何にも染まっていない、つまりは最も無垢に近い魂を身の内に隠し持っていた。
実際にはそれを選んだのはハーデス自身ではなく、その人間を『この世で最も清らかなもの』とした“天”であるとも言えたのだが、その子供を自らの依り代として受け入れたのは、確かに冥府の王当人だった。



■ タブラ・ラサ : ジョン・ロックの認識論



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