人間というものは、非力で愚かで壊れやすいものであるにも関わらず、どうしてここまで しぶといのか――。 若い神は、憎々しげに舌打ちをした。 「汚れる寸前だったのに……!」 否、瞬の魂はすっかり汚れきっていた。 確かに汚れていた魂が、今ではすっかり元の清浄を取り戻し、むしろ以前より澄み輝いている――。 太陽神を不快の極致に至らせたその事実が、冥府の王には甘美な満足をもたらしていた。 「これでこそ、余の分身。素晴らしい。人がみな瞬のようであったなら、余は人類の粛清など考えもしないものを……!」 底意を滅多に表に出さない冥府の王の言葉が、太陽神をますます不機嫌にした。 「あの氷河という男がいなかったら、瞬ひとりだけだったなら、汚れていたはずだ。あのでしゃばりの金髪の男さえいなければ、あの子供は、受け入れ難い現実に負け、逃げることで己れを保とうとする卑怯者になっていたはずなのに……!」 操ったはずの男に 自らの企てを台無しにされた若い神は、その悔しさを隠そうともしない。 甥の 子供らしい正直を、ハーデスは珍しく好ましいと感じ、微笑んだ。 「そなたの悪趣味な企みのおかげでわかったことがある。 「あなたは何をおっしゃりたいのだ」 苛立った太陽神が、冥府の王に噛みつく。 彼に問われたからではなく――ハーデスはゆっくりと口を開いた。 「人はひとりだけで清らかでいるわけではない、ということだ。だから瞬が選ばれたのだ。罪を知り孤独を知り、それゆえに、清らかであり孤独ではないもの――」 愛されることはあっても愛さぬゆえに、その傲慢ゆえに“ひとり”である太陽神のために、ハーデスはそれ以上 言葉を費やすことはしなかった。 彼は、彼の選んだ者が期待以上に強く清らかであったことに、言い知れぬ喜びを感じていた。 ハーデスは、今は、孤独で哀れな神のことなど忘れていたかったのだ。 「……」 満足そうに深い笑みを浮かべる冥府の王を見て、アポロンは、人の世の粛清という彼の目的が果たされなかった時にも、彼は 今と同じように微笑むのではないかと思ったのである。 結局彼は、人間を見切り滅ぼすと言いながら、その偉業を妨げてくれる人間の出現を待っているのだ。 だが――だが、それでは、人と同じレベルのものに堕ちたアテナと大して変わらない。 人の世の粛清というハーデスの企ては失敗するだろうと、太陽神は思った。 冥府の王の期待通りに、それは失敗する。 そして、その後には、自分が――神であることの誇りを忘れていない太陽神が――人間に挑む番がまわってくるのだ。 その時、太陽神は人間たちに勝てるだろうか――。 神と人間。その力の差は歴然としている。 神が人間に負けることなどありえない。 そう自分自身に言い聞かせている間にも、氷河を許そうとした瞬の瞳、瞬を見詰める氷河の瞳が思い出される。 アポロンは、それらの清らかさが忌々しくてならなかった。 アポロンは傲慢ではあったが、愚かな神ではなかった。 もちろん太陽神は、虫けらのような人間たちに勝利する。 ただし孤独でない人間の力を侮ってはならないと、太陽神は、その胸に深く教訓を刻みつけた。 Fin.
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