1年振りのパターン研究……のようでございます。 1年間、黒い畑の更新をできずにおりました。 まあ、私は、表の畑でも平気でえっちシーンありの話を書きまくっていますし、当サイトで表と裏を分けることに 果たして意味があるのだろうかと思わないことがないわけでもないんですが、その問題はあとで考えることにいたしまして、では1年振りのパターン研究、いってみたいと思います。 今回のパターンは『衆人環視』です。 パラ銀後の飲み会の席で、某さんにご提示いただいた黄金パターンのひとつ。 なのですが。 実は、某さんに『しゅうじんかんし』と言われた時、私は、『周人』や『囚人』、『監視』や『姦視』等々の単語を思い浮かべ、それらを連結して『しゅうじんかんし』の4文字を作ろうとしました。そして、結局のところ、その場では正しい『衆人環視』に至ることができなかったのです。 そういったことを考えますと、この言葉は、普通にやおいな文章を書く時に しばしば用いられる言葉ではないような気がします。 そんな『衆人環視』。 やおい的衆人環視のパターンといたしましては、「敵に捕らえられて自由を奪われる、もしくは、人質を取られて逆らえない状態に追い込まれる等の状況下で、受けキャラが、不本意ながら人前でイタすことになる』というのが、一般的な展開なのではないかと思います。 好奇と好色の視線にさらされていることを意識し、羞恥と屈辱に震え、大抵の場合は好きではない相手と性行為に及ぶ。 見物人の中には、その場に無理矢理引っ張ってこられた本命の攻めキャラなんかもいて、被害者である受けキャラが「お願い、見ないでっ」と叫ぶのがお約束。 屈辱的な服従を強いられた受けキャラには、自分がその見世物の当事者であることが つらく苦しく悲しく切ない。更に みじめでもある。 だというのに(だからこそ?)受けキャラは激しく感じ乱れる――というあたりに精神的SM的要素が含まれ、なかなか趣向盛りだくさんな おいしいパターンです、衆人環視。 そうです。おいしい設定なはずなのです、衆人環視は。 ところが、その おいしいはずの『衆人環視』に私が挑もうとしたところで、問題がひとつ顕在化。 すなわち、ウチの瞬は、そういう屈辱的状況下で、しかも相手が氷河でないのなら、多分 性的刺激に乱れることはない――という問題です。我慢しきるわけではなく、最初から最後まで不快でしかないと思う。 なにより私が、瞬ちゃんが氷河以外の誰かと性行為に及ぶ話を書きたくない。 しかし、この手の話は、『いやだいやだと言いながら感じてしまう』ところがポイント。 瞬ちゃんに『感じて』もらわないことには話になりません。話にはなるかもしれませんが、それでは読み手も書き手も楽しくありません。 そこで私が捻り出した解決策(というより妥協案)を用いて書いたのが今回の話。 『瞬は自発的に、自ら望んで、その状況に我が身を置く。行為の相手は氷河』。 これなら、私の好みに反することはありません。というか、私にも書けます。 もちろん、瞬ちゃんが感じまくって、よがりまくっても全然OK。「思う存分 喘ぎ乱れるがいい!」てなもんです。 しかし、ここでまた新たな問題が発生。 なんと、そういう設定では、私は瞬に「お願い、見ないでっ」を言わせられないのですね。 瞬が自ら その状況下に我が身を置いたのでは、衆人環視の最大のヤマ場、黄金中の黄金なセリフ「お願い、見ないでっ」を瞬に言わせることができない。その当然の帰結として、辱め効果は半減するわけです。 『衆人環視』には、他にも有効なお約束が数多くあります。 思いつくことを幾つか挙げてみますと、
これを、氷河と瞬ちゃんにさせられると思いますか? この私が? どう考えても、それは無理な相談というものです。そして、実際に無理でした。 要するに、今回の話はそういう話です。 今回私は、黄金パターンの旨みをほとんど話の中に盛り込むことができなかったのです。 |
■ | 衆人環視 | |
■ | 見られていることは嫌なのに、感じてしまう瞬ちゃん | |
……すみません、他にはパターンポイントが見付かりません;
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私は、氷瞬やおいにおける自分の許容範囲は異様なまでに広いと思っていました。 どんなハードなえっちも、逆にどんなほのぼの話も、カッコいい氷河もカッコ悪い氷河も、可愛い瞬ちゃんも意地悪な瞬ちゃんも、利口な氷河、利口な瞬、おばかな氷河、おばかな瞬、なんでもばっちり受け入れられますし、私自身、パラレル、死にネタ、女体化やドリーム小説まで書いている。 自分の氷瞬の許容範囲は大変に広いと、私が勘違いしても、それは致し方のないこと、むしろ自然なことでありましょう。 ですが、異様なまでに広いと思い込んでいた私の氷瞬やおいの許容範囲は、実は(自分が話を書く分には)非常に狭いものでもあったようです。 そんなふうに狭い私の許容範囲内の設定で話を書こうとすると、当然 黄金パターンのおいしさはかなり薄れることになります。 黄金パターンに完全に沿った話を、私は書くことができない。 これは、私の最大の弱点であると言うことができるでしょう。 しかし、ここで あえて言わせていただきますと。 私は、基本的に、私自身の萌えにのみ従って氷瞬話を書いています。 できるだけ多くの方々に、自分の書いたものを受け入れてもらいたいと願ってはいますが、読んでくださる方々に受け入れてもらうために――もっと露骨な言い方をすると、『受ける』ために――自分の書きたくない話を書くことはしません。というか、書けない。 私は、読んでくださる方々に受けてもらうために、えっちシーンを書くことはしない。 読んでくださる方々に引かれることを恐れて、えっちシーンを書かないということもしない。 受けるために、レイプネタを書くことはしない。 引かれることを恐れて、レイプネタを書かないということもしない。 受けるために、女体化話を書くことはしない。 引かれることを恐れて、女体化話を書かないということもしない。 受けるために、SM話を書くことはしない。 引かれることを恐れて、SM話を書かないということもしない。 受けるために、獣化ネタを書くことはしない。 引かれることを恐れて、獣化ネタを書かないということもしない。 受けるために、鬼畜話を書くことはしない。 引かれることを恐れて、鬼畜話を書かないということもしない。 受けるために、衆人環視ネタを書くことはしない。 引かれることを恐れて、衆人環視ネタを書かないということもしない。 つまり、私は、私の書きたい話だけを、私が書きたいように書く物書き、それしかできない物書きです。 黄金パターンをお約束通りに書けば、かなりの高確率で、読んでくださる方々に萌えていただけることはわかっているんです。 でも、それがわかっていても、私は、書けないものは書けない。 ということを考えますとですね。 『お約束通りの黄金パターン』イコール『自分の萌え』である書き手さんは、本当に幸運な書き手さんなのだと思うのです。 そうでない書き手は、読み手さんに好まれるネタと自分の書きたい作品とのギャップに悩むことが多々あるのではないかと思います(今回の私が、まさにそうでした)。 作品を書いて発表している者には、読んでくださる方々が自分の書いた作品に受けて萌えてくださることほど嬉しいことはありません。 それがどれほど嬉しいことであるかは、受けるために自分の萌えを曲げて作品を書く(書くことができる)書き手さんが世の中に存在するという事実からも、容易に察することができるでしょう。 ↑ これは『キャラへの愛が根本にあるべき』と考えられることの多い女性向け二次創作においては、『愛』よりも『受けること』『売れること』を重視した対応と解されて、あまり好意的に見てもらえない行為です。 ですが、これができる書き手さんは、ものすごい技量と自制心を持った書き手さんであり、その行為は一概に非難されるべきことではないと、私は思う。 それは、プロの書き手さんなら、当然のごとくに求められる作業でもありましょう。受けてなんぼ、売れてなんぼのプロには、それは義務ですらあることなのです。 プロと違って、書きたいものだけを書いていい同人物書きは、でも、だからこそ迷い悩むのです。 自分の萌えと他人の萌え、同人物書きはそのどちらを選んでもいい。どちらを選んでも、誰からも責められることはない。 そんなふうに、自由のせいで、自由だからこそ、人は思い悩むこともあるのです。 同人物書きは皆、心弱く健気な生き物。 自分の意思と嗜好・志向を守り貫こうと思った時、メジャーな萌えのみを愛好できない書き手には、相当の精神的強靭さが求められます。多くの人に受け入れてもらえないことに耐える強さが必要なのです。 その孤独な心を支えるものは、ただ愛のみ。 氷河と瞬ちゃんへの愛だけに導かれ、今日も氷瞬やおいを書く私なのでございます……。 |
| 衆人環視ネタをまともに料理できなさそうだと気付いた私は、せめて話のどこかに、パターン中のパターン、もはや古典といっていいほどのパターンゼリフ「○○が見ている」を入れようとしました。 つまり、「神様が見ている」というセリフをどこかに入れようと思ったのですね。 快楽のために正気を失い、見物人の存在を意識の外に追いやることはできても、神の目はそうはいきません。 「神様が見ている」は、話の流れ的に そう唐突なセリフでもありませんし不自然なセリフでもないだろうと、私は考えました。 結論を申し上げますと、私は瞬に「神様が見ている」を言わせることに失敗し、半端に『神様』の御名だけを借りることになってしまったのですが、それはそれとして。 神様という存在は、もしかしたら囚われの本命攻めキャラと共に、衆人環視ネタにおける見物人役の最多出場数を誇るキャラなのではないかと思った次第。 まさにまさに「神は偉大なり!」でございます。 |
| 今回舞台になっておりますミラノのスフォルツァ家は、実はそんなに長くミラノ公国を支配していた家ではなく、16世紀の割りと早い時期に一度ミラノを追われています(その後、ちょっと復活)。 「まあ、瞬ちゃんは氷河とミラノを出ちゃうしね」という深い考えなしに書いた話なので、今回は(今回も)時代考証等を真面目に行なっておりません。 また、ミラノ・レッジョ共、国体は『公国』なので、ミラノ公・レッジョ公の子供たちは本当は『公子』『公女』の呼び名を用いられるべきなのですが、今回は『王子』『王女』で通させていただきました。 そこいらへんすべて、軽いお気持ちで読み流してやってください。 & 私が最初に考えた氷瞬的衆人環視ネタは、「氷河と瞬ちゃんの××を、氷瞬ファンが勢揃いして見物する」というものでした(私の脳内で某々さんが氷河のワキ毛の有無を確認していらっしゃいました……)。 & 私に『衆人環視』なる貴重な一言をお与えくださった某さんの衆人環視ネタを、めちゃくちゃ読んでみたい私なのですが、ギャラリーをわんこたちにされてしまいそうなので、おねだりできないでいます。 (と書くと、わんこでなくウサギで書いてくださりそうなので、おねだりできないでいます) (と書くと、ウサギでなくインコで書いてくださりそうなので、おねだりできないでいます) (と書くと、インコでなくミドリガメで書いてくださりそうなので、おねだりできないでいます) (と書くと、ミドリガメでなくエリマキトカゲで書いてくださりそうなので、おねだりできないでいます) (と書くと、エリマキトカゲでなくアリンコで書いてくださりそうなので、おねだりできないで以下∞) ……。 やおい書きとやおい描きの駆け引きは、まさに丁々発止でございます。 |