「こっちに来い」 「え」 大国ミラノの公位継承権を持つ少年の腕を、ヒョウガが無遠慮に引いたのは、その子供の怯えた様子が見るに耐えないものだったから――だった。 仮でも嘘でもレッジョ公家とミラノ公家は親類同士になる。 二人が仲良くすることに文句を言える者はいないだろう。 言えるものなら言ってみろと言わんばかりの目で、他国の人間の唐突な行動にあっけにとられているミラノの老貴族たちを睥睨し、ヒョウガがシュンの肩を抱く。 「見たくないんだろう? 盗み見ている振りをしていろ。興味があるなら見てもいいが」 ヒョウガが低い声で囁くと、ヒョウガの胸の中でミラノの貴公子はぶるぶると首を横に振った。 そして、短い吐息を洩らす。 事の次第をしっかり見極めろと言われて、責任を感じていたのだろう。 その重責を放棄してもいいというヒョウガの言葉に、シュンは肩の荷を下ろしたらしい。 強張っていた彼の身体は、ヒョウガの胸の中で徐々に柔軟さを取り戻していった。 やがてレッジョ公国の王子――ヒョウガには腹違いの兄に当たる――が、その場に姿を現わす。 二人が間違いなくミラノ公国の王女であること、レッジョ公国の王子であることが、証人たちによって認められると、政治的に非常に重要な意味のある、本来は非常に動物的なはずの行為がいよいよ始まった。 寝台の周囲に掛けられた布は、極めて薄いものだった。 二人の表情まではわからないが、二人の身体がどういう位置にあり、どんなふうに触れ合っているのかは、証人たちには容易に見極められる。 証人たちは寝台から さほど離れた場所にいるわけではない。 二人の間で囁き声が行き交っていることは、ヒョウガにも聞き取ることができた。 王女はひどく戸惑っているようだった。 新郎が手慣れていないわけではない。 これを政治的な務めと割り切ることができないこと――新郎が自分の妻に好意を抱いていること――が、仇になっているようだった。 レッジョの王子は愛する妻のために、この見世物をできるだけ早く終わらせようと焦っているらしく、彼は彼の妻の心や感情を愛撫せず、肉体だけを――それも事の成就に必要な箇所だけを――愛撫している。 懸命に低い声で王女をなだめ励ましているようだったが、王女はついには新床ですすり泣きを響かせ始めた。 仕方なく、王子は無理に接合を試みたらしい。 従姉の低い呻き声に、シュンの肩がびくりと震える。 本当は大きな叫び声をあげてしまいたいのだろうが、王女はミラノの王女としてのプライドで、必死に自らの声を抑えているように、ヒョウガには思われた。 だが、ヒョウガはむしろ、そんな王女の様子より、シュンの方が はるかに気になっていたのである。 ヒョウガの胸の中で、シュンは、破瓜の痛みを味わっている王女より苦しそうに眉根を寄せていた。 「人と人が肉体的に結ばれるって、そんなにつらいことなの……」 身体を密着させていても聞き逃してしまいそうなほどに小さな声だったのだが、シュンがそう呟いたのは、従姉の姫の苦しげな声を聞きたくなかったから――のようだった。 ヒョウガも低い声で答える。 「王女様は処女の振りもしなきゃならない。痛がっているのも演技かもしれないし、本当は口で言うほど痛がってはいないのかもしれないぞ」 ヒョウガはシュンのために わざとそう言ったのだが、それで恐れとも嫌悪ともつかないシュンの感情を消し去ることはできなかったらしい。 シュンは、ヒョウガの胸にいよいよ強く頬を押し当ててきた。 「そ……なんですか……。でも、僕はいやだ、あんなこと。レッジョの王子様も、マリアを愛しているのなら、どうして彼女を苦しめるようなことをするの」 レッジョ公国に嫁いでくる王女の名を、ヒョウガはその時初めて知った。 以前に幾度も聞いていたはずなのだが、どうやらヒョウガの頭は、それを記憶する必要のないものと判断し、その判断に従っていたらしい。 それはともかく。 シュンのその言葉に、ヒョウガは目眩いを覚えてしまったのである。 今 彼の胸の中にいる人間は、本当に何も知らない子供だった。 絶対にこんな場所に引っ張り出されるべき人間ではないし、儀式の証人としては何の役にも立たない。 だからだったろう。 ヒョウガは、これは もしかしたらミラノ公の策略なのではないかと疑うことになったのである。 こういうことを何も知らない子供に見せたら、見せられた子供は、この行為に嫌悪感と恐怖を抱くことになるだろう。 公位継承権を持つ者が性行為に嫌悪感を持てば、自分の直系の王子・孫に公位を継がせたいミラノ公には都合のいい事態が生じるかもしれない。 ミラノ公はそんな企みを企んだのではないか――と、ヒョウガは疑ったのである。 「愛し合う者同士であれば、快いものになるんだ。情熱的な愛情より思い遣りの方が有効な場合の方が多いだろうが」 こんな経験のせいで、あたら美貌の持ち主が恋に興味を持てなくなるのは、イタリアの大きな損失である。 ヒョウガは、そんな事態を招くことのないように、シュンの耳許で囁き続けた。 「慣れれば、王女様も喜びを覚えるようになる」 「でも、僕は嫌だ」 潔癖な子供らしい、断固とした拒絶。 きっぱりと そう言い切ってから、シュンは自身の断言に驚き慌てたように、ヒョウガの顔を見上げてきた。 「す……すみません」 ヒョウガの言葉がヒョウガの厚意から出たものであったことは、シュンにもわかっているらしい。 人の親切を拒絶したも同然の自分の言動に罪悪感を覚えたのか、シュンはいたたまれなさそうにヒョウガの胸の中で瞼を伏せた。 |