ヒョウガが毎日いつもシュンを見詰めていることに、シュンが気付いていないはずはなかった。
それでもシュンがヒョウガに何も言わずにいたのは、その事実を言葉にし、その理由を二人が確かめ合ってしまったら、厄介で面倒な事態が生じることを、シュン自身が感じ取っていたからだったろう。
しかし、何事にも限界・限度というものがある。
恋人たちが自らの恋を確かめずにいることほど、苦しいことはない。
ヒョウガがミラノにやってきて ひと月も経ったある日、シュンはついにヒョウガに尋ねることになってしまったのである。

「どうしてそんなに僕を見詰めるの」
「おまえを見ていると、それだけでいい気分になれるんだ」
正直に答えてから、ヒョウガは掛けていた椅子から立ち上がり、シュンの前に立った。
恋の告白をためらうには十分すぎるほどの時間を耐えた――と思いながら。

「ずっと側に置きたいと思……」
シュンが気軽に男のものになれるような軽い立場の市井の女ではないことを思い出し、ヒョウガは言いかけた言葉を慎重に言い直した。
「側にいてほしいと思う」
「ヒョウガ」
「無理だろうか」

ヒョウガは本気だった。
厄介で面倒で同性で若すぎる相手とわかっていても、シュンと離れてしまいたくない。
シュンがせめてミラノの公位継承権など持つ身でさえなかったら、ヒョウガはさっさとレッジョにシュンを連れ去ってしまっていただろう。
この恋で最も厄介な問題は、シュンの性別でもなければ年齢でもなく、彼の社会的地位だった。

「さっさと帰国しろと、レッジョから矢の催促が来ている。俺たちが一緒にいることは 許されないらしい」
「帰ってしまうの……!」
不実な恋人を責めるように悲痛な声が、室内に響く。
それからシュンは、言葉にしなくても互いに知っていたことを、意を決したようにヒョウガに告げた。
「僕も、ずっとヒョウガの側にいたい」

待ち望んでいた言葉と、自制し続けていた抱擁と口付け。
もちろんヒョウガは、シュンに嫌われてしまわないために、それ以上のことをしようとはしなかったが、そして、こうして互いに心を確かめ合ったところで厄介事が消えてくれるわけではないこともわかっていたのだが、それでもヒョウガは、自分がシュンを抱きしめられることに言いようのない幸福と充足感を覚えていた。
シュンの心が自分の胸の内にある。
それは美しく優しく温かく得難いものであり、ヒョウガの心をすっかり包み込んでしまっていた。

シュンは、キスまでなら、恐怖も嫌悪も感じないらしい。
だが、ヒョウガのそれがあまりに深く性的なものを含んでいることに、シュンは不安を覚えたようだった。
長いキスが終わると、シュンはヒョウガの胸と腕から離れようとはせずに、だが少し気弱な様子でヒョウガに尋ねてきた。
「愛し合う者同士なら快いものになるって、ヒョウガ、言ってたけど、ヒョウガも……ああいうことをしたいの」
「したくないと言えば嘘になるな。もちろん、俺はおまえのすべてを俺のものにしたい」

ヒョウガの正直な答えを聞かされたシュンの身体が、ヒョウガの胸の中でびくりと震える。
それでもシュンは、ヒョウガから離れようとはしなかった。
「だが、おまえがしたくないのなら、しなくてもいい。我儘を言って、身体だけを俺のものにして、それでおまえの心を失う愚を犯すつもりはない」
ヒョウガは虚勢を張っているのでもなく、嘘を言っているのでもなかった。
本当に、たった今 その手に抱きしめたばかりのシュンの心を失うことが、ヒョウガは何よりも恐ろしかったのだ。
そんな事態には耐えられない――と思う。

「俺は、あの王女の比ではなく、おまえの身体に苦痛を強いることになるだろう。おまえを傷付けたくはないし、おまえも無理をする必要はない。臆病者と笑ってもいいが、今はおまえに嫌われたくないという思いの方が強い」
「ヒョウガは、僕の代わりに誰か……と、あの……」
潔癖なシュンは、成人男子の生理がどういうものであるのかという知識だけは持っているらしい。
そして、シュンにその手の知識を“教養”として教え込んだ家庭教師か書物は、人間の身体は心に支配されているという肝心のところを、シュンに伝え損ねているようだった。

「これから先がどうなるかはわからんが、今はおまえ以外の誰かを抱きたいという気持ちが湧いてこない。おまえの代わりは誰にもできない」
完全に――というわけではなさそうだったが、シュンはそれで一応の安堵を得ることができたらしい。
シュンがそんなことを気にするということは、シュンに独占欲があるということで、ヒョウガはシュンの心配が意外でもあり、また嬉しくもあった。

「ヒョウガと一緒にいたい。一緒にいられるのなら、ミラノでもレッジョでも他のどこかでも……場所はどこでもいい。ヒョウガと一緒にいたい」
シュンは、ヒョウガの胸に向かって切なげに呟いた。






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