番外編  「アイザック、帰る。」



北の果て、シベリア

気候区分冷帯冬季少雨もしくはツンドラ気候、1kuあたりの人口一人未満、地下資源すず・金。
そんな雪原の海岸に今、一人の男が這い上がってきた。
海からきた男は迷うことなく人里離れた一軒家に足を向けた。
大雪原にぽつんと佇む小さな家。
そこが彼の師カミュの仕事場兼住まいであった。

―なんで誰もいないんだ?―
普段ならばカミュと氷河がいるはずである。氷河はふらふらと出かけることがあるにしてもカミュまでいないというのは少々意外な事であった。
なにせ彼は徹底した合理主義者の為、必要以外に動くといったことが無いのである。
郵便受けに貯まりに貯まった新聞から察するに少なくとも一週間やそこらとは思えない。アイザックが新聞を取り出していると紙に紛れて鍵が落ちてきた。
―これではいれということか。―
火の気の無い居間まで入ったアイザックはそこでカミュの書置きを見つけた。
―そうか、出かけているのだな。―
事態を一応飲み込んだ彼が次にしたことは書置きの通りのことをすべく戸棚に手を伸ばすことだった。

―こっこれは!― 
ゴクリと、彼は思わず息を飲み込んだ。
戸棚の中には干からびて原型の約五分の四ほどになった大福が皿に乗せられてラップもかけられずに放置されていたのである。
―いつのだろう?―
と、思いメモの書いてあった折込み公告を見ると宣伝されているセールは二週間前のものであった。さずがにセールの最中に配ることは無いだろうからそれに足すこと一日。ざっと半月前の大福、ということになる。
―どういうことだ、これは。―
アイザックは考え込んでしまった。大福を食べるか否か、ということではなくカミュの意図を、である。
暫くの沈黙の後、
―もしかしたらカミュはオレを試しているのかもしれない。―
という結論に達した。
―師はいつでもクールでいろ、と教えてくれた。恐らくこれはこのアイザックに得体の知れないものを前にしても怯むことなく冷静に振舞えということに違いない。いや、そうなのだ!―
覚悟を決めたアイザックは半月前の大福をわしづかみにすると一気に口に運びろくに噛みもせずに飲み込んだ。


実の所、カミュはなにも考えていなかった。疲れて帰って来た弟子に甘いものを食わせよう。という考えすら皆無であったのだ。
大福を置いていったのは、ただ単に出かける前、皆でおやつに食べたときミロが食べなかったので一個余ってしまったから。
メモに書いたのだってできればそれを処分して欲しかったから。
もちろん、アイザックの帰る時期を計算などしていない。

無駄にものを考えない師と考えすぎる弟子。
なかなかいい組み合わせだ。と、思えないこともない。かもしれない。


その後の彼の行方は誰も知らない。






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