数時間後、山の日暮れは早く、太陽はいそしそとその身を大地にゆだね、地平線にほんのりとした赤い輝きを残すのみとなっていました。
―今夜中に山を越えるのは無理だけど、せめて頂上までは行こう。―
山の中腹辺りを進んでいた瞬はそう考えるとその歩みをいっそう速め、頂上を目指しました。

そして彼がようやく頂上にたどり着いたときは、、日はとっくに沈み、無数の星たちが頭上で瞬いていました。
「あの人、今頃どこにいるのかなぁ…」
夜空を見上げながら少年は、捜し求めているある人のことを考えていました。
と、その時です。

一陣の身も凍るような風が吹き込んできました。
「あぁ、火が!!」
せっかく起こした焚き火も消えてしまいました。
しかし風はすぐに止むともう吹いてくる気配がありません。
― 一体今の風はなんだったんだろう?冬でもないのに凍るように冷たかった。―
不思議に思った瞬は好奇心から風の吹いてきた方向に近づいて行きました。

「うわー。なんてきれいなんだろう。」
そこにあるものを見たとき、瞬は思わず感嘆の声をあげました。
鏡のように輝く水晶の扉があり、風はその奥から出てきていたのでした。
―これ、氷だ!―
瞬は近くによって見てさらに驚きました。水晶だと思っていたのはなんとは氷だったのです。あまりにも見事に凍り付いていたため水晶のように見えたのでした。

「だれだ、そこにいるのは…」
―!!?―

突然氷の向こう側から人の声がして、瞬は古典的表現をするならば心臓が飛び出しかねないほど驚きました。
「僕は旅のものです。怪しいものではありません。」
ありったけの勇気を出して瞬は中の人物に語り掛けました。すると、
「そうか、すまんな。人に会うのは久しぶりでな。」
「久しぶり? 一体ここで何をしているのですか?」
「オレか?オレはここに閉じ込められている。」
「なんでですか?」
「まあ、色々あってな・・・」
中の人物はあまり言いたくないようで、言葉を濁しました。
―悪い人には見えないけど・・―
瞬がそう考えていると、中の人はこう言いました。
「オレをここから出してくれないか?もし君が約束の人物だったらこの扉を開けられるはずだ。」

瞬には彼の言っていることのすべてを理解することは出来ませんでしたが彼が悪い人には思えず、またこんな人里離れたところに閉じ込められているのを可哀想に思って出してやることにしました。ところが、氷で作られた扉は厚く、とてもじゃないが一人で開けられるとは思えませんでした。

「どうすれば貴方を出せるんですか?」
そう瞬が質すと、
「・・札だ・・。」
「札・・?」
見ると氷の裂け目とおぼしきものを跨ぐようにして一枚の紙が張られていました。
「ありますけど、」
「それを剥がしてくれ・・・」
彼が言ったのはそれだけでした。
―これを剥がしたしだけで開くわけないよな・・・―
瞬は半信半疑でしたがとりあへず、言われた通りその紙に手を伸ばしてみました。
触ってみると紙はたいそう昔のものらしく、表面が乾ききっていて簡単に剥がすことが出来ました。
「これで、いいですか?」
剥がし終えた瞬が言うと、
「ああ、少し離れていてくれ。」
という返答がありました。そこで10メートルほど離れたそのとき、
―!!?―
いままで紙一枚通すことが出来なかった氷が真っ二つに割れて開いていくではありませんか。
そして中から一段と冷たい、凍てつく空気が白い煙と共に吐き出されたかと思うと奥のほうに人影が現れました。
しばらくして視界がよくなり、瞬には中の人がどんな人か見えるようになってきました。
出てきた人物は瞬が思っていたよりもずっと若く、見たこともない金色の髪をしていました。
彼は氷河と名乗り、大きく伸びをすると言いました。
「外の世界を見るのは200年ぶりだ。」

―200年だって!!?―
これを聞いた瞬は驚きました。人間が200年も生きられるはずありません。ましてこんな青年の姿なんて奇跡もいいところです。ここで彼は昼間、樵が言った言葉を思い出しました。

―この山には恐ろしい妖怪がいるんだ。あんたなんか美味そうだから頭っから食われちまうぞ―
―頭っから食われちまうぞ―
―頭っから食われちまうぞ―
―頭っから食われちまうぞ―
―頭っから食われちまうぞ―

最後の部分が頭の中でエコーしてしまった瞬は背筋が寒くなってきました。そして自分はとんでもないことをしてしまったのかもしれないとも考えたのです。
そうとは知らない氷河はやりたいだけ屈伸運動をすると瞬のほうにやってきて屈みこむと言いました。
「オレを出せたということはお前は天竺に経をとりに行く者だろう。オレはお前について行く。」

―・・・??・・・・・―

最初、瞬は自分の置かれた状況がわかりませんでした。
しかし時間と共に理解していくにつれ、どうも自分がとんでもない勘違いされていることに気づきました。彼は取経の僧ではありません。でもここで違うといったらどうなるでしょうか?
返答に困っている瞬の腕を取ると氷河はを軽々とその身体を抱き上げ歩き出そうとしました。
「ちょ、ちょっとなにをするんですか、嫌だ下ろしてください!!」
「暴れるな、この方が早いぞ。」
「嫌ですったら!」
このやりとり、きっと街中で行われていたら“美少年が謎の男に絡まれている”光景として人々の目に映り、善良な市民の方々によって美少年はすぐさま助けられることであったでしょう。だがしかし。 だがしかし、ここは人里離れた辺境の山、しかも頂上。
善良な市民はおろか旅人ですらめったに近づきはしまい。いるのはせいぜい野山の獣くらい。

しかし、そんな山頂に接近してくる者がおりました。
はるか上空から神々しくも速やかに下降してくる人影が。
「な、何!?」その人物が放つ光に気付いた瞬は言いました。
「あ、あれは!」
そして、その人の顔が判別できるようになったとき、その人物を見た氷河は思わず大きな声で叫びました。

「我が師、もとい 菩薩のカミュ!!」