ばたん、とうしろ手に扉を閉ざし。
 太陽の下、瞬は足を止めた。
 あれから。もう何日になるだろう。
 なんだかとても長い月日が経ったように思えるのだが、多分ほんの数日前のこと、の筈だった。
 誕生日の夜。
 あの老婆に出会いこんな話を聞いたりしなければ。
 こんなことには。
 ───ならなかったのではないか、と。
 無為なことを考える。
「…氷河」
 両手で顔を覆い、深くためいきをつく。
「…ごめんね…」
 涙はもうでなかった。
 愛は。
 心は。
 存在するだけで通じてしまうもの。
 そう、自分は氷河を愛していた。
 今ならこれほどにはっきりとわかる。
 他に欲しいものなんてなかった。彼だけがいればそれで満足だった。
 幼い頃から碌にものを望んだりしなかった。
 欲望と言える欲などなかった。
 その自分が、初めて望んだもの。
 それが彼だった。
 思いは通じるもの。
 故に、自分が彼に対してそのような思いがあるのなら。
 誰よりも大切だと───そんな思いがあるのなら。
 彼に伝わってしまわないわけがなかった。
 深く愛すれば愛するほど、きっと同じ重さのものが返ってくる。
 ひととはすべてを言葉にしなければわからぬほどに愚かな生き物ではなく。
 それは本来素敵な現象の筈、だったが。
 今は逆だった。
 自分が思いを寄せただけ。
 彼は自分を愛してしまうだろう。
 だから。
 物理的に精神的に彼を出来るだけ自分から遠ざけてしまわなければいけなかった。
 できるだけ。
 そのとき。
「……痛……」
 不意に胃のあたりに鋭い痛みを感じて瞬は壁に凭れたままずるずると座り込んだ。
 今に始まったことでもなく、そして原因もわかっていた。
 彼をきずつけるごとに。酷い言葉を吐くごとに。
 その痛みを想い。
 神経が灼ける。
 ひっそりと彼が寝静まった頃を見計らい眺める寝顔が。
 寝室から追い出さざるを得なくなった彼の。固い台所の床で眠るその寝顔が。
 かなしくて。
 そして神経の傷が胃を痛ませるなんてまるでただの人間みたいなこの体の構造が可笑しくて。
 瞬は痛みを訴える脆弱な内臓を右手できつく押さえちいさく嘲笑した。
 そしてふと視線をあげると、ここにはいないはずだった人物───沙織が、何の前触れもなく現れそこに立っていた。
「……瞬……」
 それ以上言葉にならない言葉を目で語り、沙織は瞬を見下ろしていた。






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