ある夜、氷河は、深夜にふいに目を覚ました。

人の気配を感じたからだったのか、夢の中で思い描く少年の姿では物足りなかったせいなのか、それはわからない。
ともあれ、氷河は目を覚まし、そこに、夢よりも――そして、壁に飾られた絵よりも――温かみのある花の姿を見い出した。


あの少年が、そこに立っていたのである。

まさかと思いながら壁の絵を見ると、それは明るい夏の庭の風景が描かれたものになっていた。少年のいた場所には、白い薔薇の木が蕾をつけて佇んでいる。
少年が、絵から抜け出てきたのだとしか思えなかった。

「これは夢か……?」
「あ……」

少年は、怯えた目で、氷河を見詰め返していた。
身を隠す術を探しているのがわかる。

「消えないでくれ……!」
咄嗟に、氷河は彼に懇願していた。
「夢でもいい。消えないでくれ」

不安そうな目をした少年が、氷河の口調に驚いたように、その場に立ち尽くす。
彼がすぐに消えてしまうのではないかという不安にかられて、氷河は急いで彼に歩み寄り、そして、ものも言わずに彼を抱きしめた。

少年が息を飲む気配が、肩に感じられる。
彼は生きていた。
間違いなく生きている。
氷河の歓喜は一通りのものではなかった。

「この奇跡は神の仕業か」
「は……離してください」
「離したら消えてしまうんだろう? 死んでも離すものか」

氷河は本気だった。
たとえそうすることで、この奇跡を起こした神の不興を買い、その身に天罰を受けることになったとしても、彼を抱きしめたまま死ねるのなら本望だとさえ思った。

「俺がどれほどおまえに恋焦がれていたか、知らないわけではないだろう」
「…………」

氷河の恋着を、しかし、少年は知らぬげだった。
氷河に向けられているのは、相変わらず、自分が生まれ出たばかりの世界に怯える子供の眼差しで、それがひどく頼りない。

おそらく、その通りなのだろう。
彼は、この世界に生まれ落ちたばかりの子供――奇跡――なのだ。






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