ある夜、氷河たぬきは、いつものように自分の許にやってきた瞬たぬきに、心の中で泣きながら、その言葉を告げました。 (おまえは、この数ヶ月のうちに、随分とみっともなくなったな。おまえは、俺の好きだった可愛い瞬たぬきじゃない。もう、俺のところには来ないでくれ。迷惑だ!) 「氷河……。氷河、どうしてそんなこと言うの。どうして、そんなひどいこと……」 思いがけない氷河たぬきの言葉に、瞬たぬきは、一瞬、その場に棒立ちになりました。 そして、泣きそうな目をして、氷河たぬきを見詰めました。 以前の瞬たぬきだったら、それが瞬たぬきのことを思った氷河たぬきの嘘だと、すぐにわかっていたことでしょう。 けれど、今の瞬たぬきは、空腹のために、まともなことを考えられる状態ではなかったのです。 氷河たぬきの冷たい言葉にショックを受けた瞬たぬきは、ふらふらと、まるで亡霊のような足取りで、その場から去っていきました。 (すまん、瞬。だが、おまえは、もう俺のことなんか忘れて、幸せに……) 去っていく瞬たぬきの頼りない背中を見詰めながら、氷河たぬきは、剥製にされて空洞になってしまった胸の中で、血の涙を流していました。 生きている時には、あれほど独り占めしたかった、可愛い瞬たぬき。 けれど、剥製にされてしまった今の氷河たぬきは、瞬たぬきの幸せのために、瞬たぬきを突き放すことしかできなかったのです。 その時でした。 おそらく、氷河たぬきを失い、ろくに物も食べずにいた瞬たぬきの弱りきった心と身体は、氷河たぬきの冷たい言葉に耐え切れなかったのでしょう。 唯一の心の支えだった氷河たぬきに拒絶された悲しみは、それまでもぎりぎりの状態で生きていた瞬たぬきの命の火を消してしまうに十分な力を持っていたのです。 ふらふらと、お山に向かって歩いていた瞬たぬきは、それを悟りました。 最後の力を振り絞って、後ろを振り返り、剥製になってしまった氷河たぬきに最後の微笑を投げかけて、瞬たぬきは、そして、そのまま、その場に崩れ落ちてしまったのです。 (瞬……!) 最初、氷河たぬきは瞬たぬきの身に何が起こったのかがわかりませんでした。 確かめるために、側に駆け寄ることもできませんでした。 やがて、朝が来て……。 一晩中、ぴくりとも動かない瞬たぬきを見詰めていた氷河たぬきは、すべてを悟ったのです。 瞬たぬきのために投げた自分の言葉が、瞬たぬきの命を奪ってしまったことを。 そして──。 そして、その悲しい事実を認めざるを得なくなった時、瞬たぬきだけを心の支えにして生きていた氷河たぬきの心もまた、死んでしまったのでした。 そんな辛い運命を受け入れることは、氷河たぬきにはできなかったのです。 今の氷河たぬきには、もう心はありません。 どんな悲しみも、もう氷河たぬきを傷付けることはできません。 剥製の氷河たぬきは、豆絞りの手ぬぐいを首に巻き、右手にとっくり、左手に宿帳をぶらさげて、今も中山道のお宿の前で、マヌケな姿をさらしています。 彼の悲しい過去を知らない旅人たちに、その滑稽な姿を笑われながら。 おしまい
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