それは、氷河たちがまだ幼く、聖闘士になる以前。

子供らしい楽しみを楽しむことを禁止され、毎日ジムでのトレーニングに明け暮れていた――明け暮れさせられていた――彼等の数少ない娯楽のひとつに、“虫採り”という遊びがあった。
春には、青虫や毛虫を捕まえてきて蝶になる様子を楽しみ、梅雨の季節には、それぞれが選りすぐってきたカタツムリでレースに興じ、夏には、競ってクワガタムシやカブトムシを集める――。
そんな彼等の、秋の獲物の代表格がトンボだった。


運命のその日。
城戸邸の子供たちは、捕まえてきたトンボを虫籠の中に押し込めて、10センチ四方の小さなその箱が、朝のラッシュ時の通勤電車もかくやの状態になっていく様を楽しんでいた。

「これで、ちょうど100匹だ」
「放してあげるんでしょ? ね、もう放してあげようよ」

乗車率、優に300パーセント。
超満員の虫籠の中、糸のように細い脚を動かすこともままならずにいるトンボたちを見て、泣きそうな声で仲間たちに訴えたのは瞬だった。

「そうだなー。イナゴならともかく、トンボじゃ、煮ても焼いても食えねーしなー」
「うん!」
ぼやくような星矢の返答を聞いて、瞬が大きく頷く。
瞬はトンボたちを解放してやれることに安堵し、瞳を輝かせて虫籠の扉を開け、そして――。

そして、瞬は、
「きゃーっ !! 」
と、女の子のような叫び声を、城戸邸の庭に響かせた。

「どーしたんだっ !? 」
「何かあったのかっ!」
城戸邸の広い庭のあちこちで、それぞれの狩猟本能を満たしていた子供たちが、瞬の悲鳴を聞きつけて集まってくる。
そこで彼等が目にしたものは、瞬の足許に投げ捨てられた小さな虫籠だった。

虫籠の中に閉じ込められていた獲物たちの半数は、既に空に飛び立ってしまっていたが、残りの半数は、放りだされた虫籠の周辺の地面で、飛び立つこともできないまま蠢いている。

狭い虫籠に閉じ込められたトンボたちは、そのあまりの人口密度に耐えかねて、共食いを始めていたのだ。
飛べないトンボたちの身体のほとんどには、頭がなかった――。


それ以来、瞬は、トンボ恐怖症になった。
触ることはおろか、その姿を視界に入れることも、『赤とんぼ』の歌を聞くことさえ恐れるようになってしまったのである。

トンボの季節の青カンなど、ほとんど無理な話だった。






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