俺が、この島とこの島に住む親子のことを知らされたのは、3ヶ月前。
親父が亡くなる数日前のことだった。
それは、親父の遺言――と言えるものだったろう。

俺の父親は、かなり成功した医師――というより、成功した総合病院の経営者だった。
母は、親父に先立って、2年前に亡くなっている。

その親父が、今際いまわきわで気にかけていたのが、まだインターンの身で天涯孤独になる一人息子の俺のことではなく、十数年前にこの島に隠遁した親友とその息子のことだったのだ。


この島に、一人の日本人が、16歳になる彼の息子と暮らしているはずだった。
彼は、親父とは高校時代からの親友で、親父がT大学病院の外科の医長になりたてだった頃、既に学界では名の知れた植物学者だったらしい。

その彼が、こんな島に引きこもることになった直接の原因は、彼の妻の死――より正確に言うと、医療過誤による事故死――だった。

彼女は、第二子を妊娠した際、胎児の呼吸器成長促進のために投与されたステロイド剤で、アナフィラキシーショックを起こし、心肺機能停止、治療の甲斐なく亡くなった。
その医院で当時、産科ではなかったが医長を務めていたのが俺の親父だったんだ。
投与されたステロイド剤はまだ臨床段階の薬剤で、担当医は、当人と当人の家族に許可を得ずに投与を試み、その結果は最悪だった。

親父は、病院の体面のために、その事実の隠蔽に力を貸すことになったらしい。
彼の細君にはもともと喘息の既往症があっただけに、『最善の処置をしたのだが』という親父の説明で、不幸な植物学者は諦めてくれたという。

だが、半年後、良心の呵責に耐えかねた親父は、医療ミスの事実を彼に伝えた。
心情的に恨まれても当然だというのに、医師や病院側を責めることもなく愚痴を言うこともなく、以前と同様に接してくれる親友の態度を見るにつけ、親父はそれ以上黙っていることができなかったらしい。

その医療過誤は、もし民事責任を問われたなら、病院側は相当額の損害賠償を迫られることになり、それだけでなく、医療機関に最も大切な信頼を失うことになっていただろうが、親父の親友は、親父の告白を聞いても裁判の申し立てを起こさなかった。

彼は、その気力も失っていたらしい。
もともと学者肌の繊細な人柄で、人付き合いもあまり盛んな方ではなかった。
彼は、親父の告白で、最愛の妻と、期待していた第二子と、そして、最大の理解者だった親友への信頼をも失った自分自身に絶望し、2歳になるかならずの幼な子を抱えて、この島に引きこもってしまったんだ。
『会いに来ようなどとは考えてくれるな』という短い手紙を親父に残して。


それから14年。
親父は、自分の代わりに彼に謝ってきてほしいと俺に遺言し、死んでいった。

音信不通で14年、である。
はっきり言って、彼が生きているのか死んでいるのかすら、俺にはわからなかった。
彼には失踪届けを出す身寄りもなかったらしく、日本にある彼の家は住む者もなく荒れ放題で、貴重な研究資料も打ち捨てられたままになっているらしい。

俺は、彼と彼の息子を、日本に連れ戻すつもりだった。
彼の信頼を裏切った彼の親友は、そのことを後悔しながら死んでいった。
彼の悲しみや憎しみが、それで少しは薄らいでくれることを、俺は期待していた――。

彼が病院の隠蔽工作を表沙汰にしなかったおかげで、親父は社会的な挫折を知らない人間として一生を終え、その息子である俺は、これまで何不自由ない生活を送ってきた。
親友の裏切りに傷付いた彼の許しを得ることは叶わなくても、せめて彼の息子にだけは、俺の幸福をあがないたい――俺は、そう考えていた。

俺は、親父の死によって、財産よりも何よりも、親父の罪悪感と負い目を相続したことになる。






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