まだ冷たい早春の風に、夜の気配が加わり始める。
そろそろ中に戻ろうと言った氷河を、瞬は引き止めた。
そして、言った。

「ね、氷河。氷河が病院で言ったこと、ほんと?」
「ん?」
「僕を好きだって」
「…………」

瞬がまさか、こんな時にそんな話を蒸し返すとは思わなかった──というのが、氷河の本音だった。
人の命がひとつ消えたばかりの今この時に、そんなことを──自分自身のことを──思い煩うことは不謹慎だと考えて自重するのが瞬だと、氷河は思っていたのである。

「──本当だ」
瞬がなぜ今、そんなことに言及するのかを訝りつつ、それでも氷河は瞬に頷いた。

その告白を真実だと認めて首肯する氷河を見詰め、だが、瞬はすぐに氷河から視線を逸らした。
「おばあちゃん……綺麗だったね」

氷河が抱いた疑念を、瞬は感じ取ったらしかった。
それでも、瞬は、氷河から視線を逸らしたままで、言葉を続けた。

「僕は、聖闘士だから、おばあちゃんとは別の闘い方をする。僕は、氷河に、白雪姫みたいに幸せな顔ばっかり見せてあげられないかもしれない。それでも──」

自分のことを、瞬はまるで他人事のように語り続ける。
それで氷河には、やっとわかった。
自分の恋の話など、今の瞬には本当はどうでもいいことで、瞬には他に言いたいことがあるのだと。
それ・・を言葉にするための糸口を探して、瞬は氷河との会話を続けたがっている。

「俺は、そんなおまえを好きになった……瞬、泣きたいのなら泣いていいんだぞ」
「あ……」

氷河の好意を利用していることを責められるかと、瞬は思っていたらしい。
泣いてもいいと氷河に言われた瞬は、一瞬息を飲み、それから、やっと求めていた言葉を貰うことができたと言うかのように、切なげに眉根を寄せた。
見る見るうちに瞬の瞳が潤み始め、そして、それはすぐに丸い小さな雫になって、瞬の瞳から零れ落ちた。

「僕……」
瞬が、自分の膝の上に置いていた小さな二つの拳を握りしめる。
そして、瞬は、堰を切られた川の水が奔流になって流れ出すように、それ・・を言葉という形にした。

「僕、もっと優しい娘になってあげればよかった……! おばあちゃんが歩けるうちに、嫌がらずにスカートでも何でも穿いて、一緒に買い物にでも行ってあげればよかった……! 僕は、そうしようと思えば、おばあちゃんをもっともっと幸せにしてあげられたのに、なのにつまんない意地張って……こんなぎりぎりになるまで意地張って……!」

「瞬……」
それが瞬の後悔で、瞬が誰かに告解し責められたい、瞬の罪だったらしい。
だから瞬は、あの老婦人を幸せにしたのは自分ではないと、声を荒げて品川氏に訴えたのだろう。
瞬の声音は、苦痛に呻く人のそれのように、苦しげだった。






【next】