窓の向こうには、平和を具現化したような庭の風景が広がっている。
春の暖かい空気と、淡い色をした花々、間延びしているように感じられる時間。
瞬の兄が戻り、すっかり6年前の姿を取り戻した感のある城戸邸の庭を、氷河は眺めるともなく眺めていた。

こんな風景は、氷河のいた極北の地にはなかった。
あの白い国にあったのは、命の極限を生きる命と、その命を削るべく存在する厳しい自然だけで、そして、それらのものはすべて、孤独という言葉の似合うものばかりだった。

「孤独な鳥は、最も高いところを飛ぶ。孤独な鳥は同伴者に煩わされず、その同類にさえ煩わされない。孤独な鳥は、くちばしを空に向ける──」

それは、カミュに教えてもらった詩句だった。
どこぞの人類学者の著作の中の一節だという、『孤独な鳥の条件』。
ひとりで生き抜く力を持たない者はすぐにその命を落としてしまうシベリアの地で呟いてこそ、様になる詩句である。
平和と幸福だけでできているような、春の庭を眺めて誦する詩ではなかった。


「カスタネダの『未知の次元』だね。続きを知ってる?」
ふいに、開け放していたドアの向こうから、瞬の声が響いてくる。
氷河に見えるように、形だけのノックをして、瞬は部屋の中に入ってきた。
そして、氷河の返事を待たずに、その詩の続きを口にする。

「孤独な鳥は、はっきりした色をもたない。孤独な鳥は、とても優しく歌う」
「…………」

実を言うと、氷河は、その詩句に続きがあることを知らなかったのである。
氷河の師は、もしかしたら、聖闘士という孤独な鳥には不必要と考えて、その詩の後半を氷河に伝えようとしなかったのかもしれなかった。

「僕の先生は、前半を教えてくれなかったんだよ。日本に帰ってきてから、本を見つけて読んで、びっくりしちゃった」

はっきりした色を持たず、とても優しく歌う鳥──。
瞬は、瞬の師にそういう教えを受け、そういう人間に育ってきたのだろう。
言葉にはせずに納得し、そして、氷河は思った。
だが、瞬は“孤独な鳥”ではない──と。

しかし、瞬は瞬で、その詩句に、氷河とは異なる感懐を抱いたらしい。
「全部読んで、氷河のことみたいって思った」
「俺は、優しくなんかない」

いったいどの語句を誤読すればそういう結論に至れるのだと、少々呆れた思いを思いつつ、氷河は瞬に反駁した。
途端に瞬が、春の淡い色の花が咲きほころぶような笑顔を浮かべる。
そして、瞬は、その微笑を消し去ることなく、氷河の顔を覗き込むようにして、彼に言った。
「氷河って、本当に可愛い」

「…………」
それ・・が、可愛くない人間には褒め言葉でも何でもない──むしろ揶揄でしかないということを、瞬は理解しているのかと、氷河は訝った。
星矢の言う冗談なら聞き流すこともできるが、瞬にその手の戯れ言を聞かされるのは不愉快極まりない。

氷河は掛けていた窓際の椅子から立ちあがり、無言で部屋を後にした。
瞬をひとり、その場に残して。
そこは氷河の部屋だったのだけれども。



* カルロス・カスタネダ 『未知の次元』 より



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