それまで氷河は、ひたすら沈黙を守っていた。 自分の人生にも将来にも“夢”というものにさえ、全く関心がないというかのように。 彼が口にした彼の“夢”は、だから、問われたので仕方なく答えた──という程度のものだったろう。 「俺の子供の頃の夢……は、死んだ者を生き返らせることだったな」 「それはできないこと──いいえ、してはいけないことよ」 もう“子供”ではない氷河には、無論、それはわかっている。 もしかしたら氷河は、暗に、自分には夢などないと言おうとしていたのかもしれなかった。 しかし、アテナは──青銅聖闘士たちから貴重な10代の時間を奪ってしまったアテナは──それでは収まりがつかなかったらしい。 「考え方を変えてみたらどう? 恋でもして、新しい命を作ることを考えてみたらどうかしら。私の方で、社会的に認められる形ばかりのポストを準備するわ。それで、何にも誰にも引け目を感じることもなく、恋でも結婚でもしてちょうだい」 「そんなのも、ありなのかー?」 突然、星矢が素頓狂な声をあげる。 沙織の言葉は、星矢には、『それが望みなら、死ぬまで遊び暮らしていてもいい』と言っているのと同じに聞こえたのである。 「私は、あなたたちが幸せになるためになら、何でもするわ。恋だけして、遊んで暮らしたいというのなら、生活面での面倒も見ます。あなたたちがそういう生き方を望み、それを喜べるというのならね。ただし、恋のお相手は自分で探してもらうことになると思うけど」 「しかし、それは──」 紫龍にも、沙織の提案は、安易に受け入れることのできないものだったらしい。 否、彼には、そんなことを許すアテナというものが、受け入れ難かったのかもしれない。 「それでは、あまりに厚待遇すぎませんか。その……恵まれすぎているというか……」 『優しい』と『甘い』は別物である。 アテナは優しくはあっても甘い存在であるべきではない──紫龍はそう思っていたし、そうあることを望んでもいた。 そして、それは、紫龍だけの希望ではなかったろう。 しかし、沙織は断言した。 「あなたたちが失った時間を思えば、決して高い代価だとは思わないわ。保障が万全というわけでもないし。世界恐慌でも起きて、グラード財団が立ち行かなくなったりしたら、もちろん約束の履行はできないわ。そうね、100億くらいの保険に入ったのだとでも思っていてちょうだい。保険会社が潰れたら、保障は保証されない。会社が継続する限り、あなたたちは一生お金に不自由はしない」 「それにしても……」 「マザー・テレサも言ってるわ。『人生はひとつのチャンス。人生から何かを掴みなさい』ってね。目の前にあるチャンスは手に入れるべきだし、利用すべきよ。それに──」 ここで清貧の聖女の言葉など出されても、説得力に欠けるというものである。 今ひとつ納得しきれずにいる青銅聖闘士たちに、沙織は意味ありげな笑みを向けた。 そして、ゆっくりとその微笑を、人の悪いものへと変化させていく。 「私は意地が悪いのかもしれなくてよ? あなたたちが、これからどういう道を選ぶのか、私は興味津々でいるの。ジゴロな氷河なんて、見ているだけで楽しそうだわ。生活の保障は、いわば見物料よ」 「…………」 沙織こそが、選べない道を歩いている。 その事実を知っているだけに、紫龍たちは、沙織のジョークとも本気ともつかないその言葉を笑い飛ばしてしまうことができなかった。 「しかし、この先再び、聖闘士の力を必要とするような事態になったら──」 「その時にはまた、あなたたちに頼ることになるかもしれないわ。そのための保険料でもあるわね、あなたたちへの援助は」 それもあり得ることと認めることで、彼女は紫龍の懸念を無視してみせた。 「とにかく、闘うこと以外の生きる目的を見つけてちょうだい。そして、あなたたちのそれぞれの人生と言えるものを歩み始めてほしいの」 「…………」 沙織は本気で、アテナの聖闘士の解散を断行するつもりでいるらしい。 その場に居合わせたアテナの聖闘士たちは、それぞれに互いの顔を見合わせた。 ──あくまでも無関心の 「人生の岐路には、誰もが迷うのよ。あなたたちは、そうするのが遅すぎたくらい。よく考えてね」 アテナの聖闘士たちの“夢”の聴取を一通り終えると、沙織はそう言って、その場を締めてしまった。 |