「おい、そこの黒いの。いつ、俺がそんなことを言った」
瞬の姿の消えたブラックアンドロメダの部屋に、次に登場したのは、某白鳥座の聖闘士だった。

「……通じなかったのか? わかってないのか? 信じなかったのか?」
虚言を弄したことへの詫びもなく、その事実がバレたことへの気まずさも見せず、氷河の盗み聞きを咎めることも思いつかずに、ブラックアンドロメダは胸中にくすぶっていた疑念を口にした。
アンドロメダ座の聖闘士には、自分の言葉に潜む悪意が通じなかったのか、言葉の意味がわからなかったのか、あるいは、アンドロメダは、新参者の告げた言葉を信じなかったのか? ──と。

瞬の人となり がわかっていないらしいブラックアンドロメダに、氷河が抑揚のない声で答える。
「信じた。俺が瞬のために、わざとそんなことを言ったんだと、瞬は解釈したんだろう」
「貴様がアンドロメダのために?」

「瞬はおまえのために何かして、少しでもおまえを不幸にしたことの罪滅ぼしがしたいと思っている。瞬の願いを叶えるために、俺はわざとそういう言い方をして、おまえが瞬に対して遠慮せずに済む状況を作ろうとした──と、瞬は受け取ったわけだ。俺が言ってもいない、貴様の嘘八百を」

「つまり、あいつは、俺も貴様も疑わなかったということか」
「俺が瞬のためにならないことを言うはずがないと、瞬は信じているんだ。当然そういう解釈をする。アテナが貴様に言った『青銅聖闘士たちを好きなようにブッ倒せ』を、『そっちに行く聖闘士に親切にしてやれ』という指示だと、俺たちが解釈するように」

「…………」
アテナやアテナの聖闘士たちと自分とでは、使っている言葉の意味が根本的に違うのかと、一瞬ブラックアンドロメダは本気で思った。
無論、ブラックアンドロメダも、アテナがかつての敵をこの家に送り込んだ理由が、その言葉通りに、彼女の聖闘士たちを倒してもいいという許可だと、本気で考えていたわけではない。
むしろ、敵として取るに足りない相手の始末を自分の部下にさせようとしてのことだと、ブラックアンドロメダは今の今まで思っていたのだ。

「瞬は、言葉そのものじゃなく、そう告げた相手の心をまず考える。俺が瞬に『今すぐに死ね』と言ったって、瞬は、俺が瞬のためにそう言っているんだと考えるさ」
自信満々でそう言う氷河を、一刹那、ブラックアンドロメダは心底から憎悪した。

そういう仲間を、ブラックアンドロメダも、かつては持っていた。
ブラックアンドロメダが仲間たちを『この馬鹿が!』と罵倒する時、それは『大丈夫か?』と仲間たちを気遣う言葉だった。
仲間たちが、ブラックアンドロメダを、『さっさと死んだらどうだ』と言って突き放す時、それは『無茶をして死に急ぐな』という、素直でない慈しみだった。

──だが、その仲間たちは、今はもう、ブラックアンドロメダのものではない。
それらの懐かしいものは、永遠に失われてしまったのだ──アテナの聖闘士たちのせいで。

「固い信頼で結ばれて、疑いの入り込む隙もない麗しい友情というわけか。反吐へどが出──」
今は、そういう美しいものを見くだし軽んじ蔑むことが、ブラックアンドロメダに生きる力を与えてくれるものだった。
彼のプライドを保つ唯一の方法だった。

そんな、いつ壊れるか、いつ失われるかわからないようなものを有していることを、誇らしげに──しかも、至極当然の顔をして──語る氷河を、ブラックアンドロメダは嘲笑しようとした。
彼のその言葉が、
「愛情か恋情に訂正しろ」
という氷河の発言に遮られる。

ブラックアンドロメダは、その言葉にも、あっけにとられた。
アテナは、自分の聖闘士たちの素行に関して、随分と鷹揚らしい。
「……おまえら、そういう仲なのか」
「ここでは公認だからな。瞬には手を出すなよ」

それを伝えるために白鳥座の聖闘士は、わざわざ新参者の部屋に出向いてきたらしい。
氷河の極めて低級かつ心配無用の警告のせいで、ブラックアンドロメダの憤りが萎えかける。
ブラックアンドロメダは、自分が、何かが違う国に来てしまったような気がした。






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