その夜。
夕食の時刻になってもダイニングルームにおりてこない瞬の部屋に、氷河はもう一度足を運んだ。
世間は冬だというのに、そして瞬はあまり寒さには強い方ではないのに、瞬の部屋の窓は外に向かって大きく開け放たれていた。
12月の冷たい外気が室内に満ちている。
その窓の脇に肘をつきながら、瞬は小さな声で『 White Christmas 』を口ずさんでいた。



 I'm dreaming of a White Christmas
 Just like the ones I used to know ……

     夢見ているホワイトクリスマス
     その懐かしい幸せな光景を私は知っている──




「ビング・クロスビーなんか好きだったのか」
雪など降ってきそうにない冬の夜空を見上げながら、氷河は、瞬の肩に手を置いて尋ねた。
瞬がその歌を歌うのをやめて、
「クリスマスソングの定番でしょ」
とだけ答える。

瞬が妙に沈んだ様子をしていることを、氷河は表情には出さずに憤った。
瞬がそんなふうでいてはいけないのだ。
特に瞬の恋人が側にいる時には。
「ホワイトクリスマスなんて、どこがいいんだ。雪はただ綺麗なだけで、他にはせいぜいアテナに歯向かう奴等を脅すことくらいにしか役立たない。雪が降ると、電車は止まるわ、電線は切れるわ、へたをすると雪は人の住む家まで押し潰しかねない。雪なんて傍迷惑なだけの代物だ。雪の苦労を知らない平和な馬鹿共が、そんなノンキな歌を歌って、ひとりでムードに浸るんだ」

言い終わってから、自分が瞬をノンキな馬鹿だと言ってしまったことに気付いて、氷河は大いに慌てた。
即行で訂正文を入れようとしたが、時既に遅し。

「……うん。雪の苦労は、僕、知らないからね……」
「いや、俺は決しておまえを馬鹿だと言ったわけでは……」
思い切り断言したあとだけに、うまい言い逃れが思いつかない。
瞬だけはノンキで馬鹿なことをしてもノンキで馬鹿なわけではない──などという理屈を、瞬が受けつけてくれるとは思えなかった。

氷河が内心で自分の不手際に立腹していることを察したらしく、瞬が微かな苦笑を浮かべる。
それから瞬は、氷河を責める様子もなく、視線を再度窓の外に転じた。

「この歌を作ったのは、アーヴィング・バーリンって人なの。作られたのは1941年、もう60年以上昔の歌だよ。当時、バーリンはすごく多忙で、ロサンゼルスで仕事をしてて、クリスマスにも家族の待つニューヨークに帰れなかったんだ。『ホワイトクリスマス』は、その時に作った歌なんだって。暖かな西海岸で仕事をしながら、雪に埋もれたニューヨークに住む家族を思ってね。1941年、彼が夢見ていたのは、白いクリスマスなんかじゃなく、家族と過ごすクリスマスだったんだよ」

失言を責められないのはありがたかったが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
気にしている場合ではないらしいことを、氷河は恋する者の直感で感じとっていた。

「ほんとは、歌の前に、ヴァースがあるんだ。ロサンゼルスはあったかくて、太陽は輝いてて、オレンジや椰子の樹が揺れてる。でも、今日は12月24日だから、私は北に帰りたい──って感じの。それから、歌に入るんだよ。私はホワイトクリスマスを夢見ている。その懐かしい光景を知っているから──」

瞬が何か大切なことを言おうとしているのはわかっていた。
瞬はいつも、自分の欲しいものをはっきりと口にしない。
手に入らなくても仕方がないと瞬はいつも思っているのだ。
無論、欲しいものが手に入らなくても、瞬は愚痴も不満も口にしない。

だからこそ、氷河はそれを察して瞬に与えてやらなければならなかった。
それは義務ではないのだが──そうすれば瞬を喜ばせることができるという事実を、氷河は、これまでの経験からよく知っていたのである。






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