以下が、氷河の手になる“詩”である。 タイトルは、『嘆きの納豆汁チップス』。
体言止め、倒置法、句点の多用、無意味なひらがな表記、不要なフレーズの反復、文体の変調、そして、一文を極力短く。 それは詩作というよりは、むしろオンライン小説(別名『壺ポエム』)の技法だったのだが、ともあれ氷河は、その“詩”をものの3分で作ってのけたのだった。 氷河は、自分の詩才に満悦至極である。 「どうだ。色気もくそもない定型文の詫び状が、ちょっと手を加えただけで、あっという間に、自分に酔った一遍のポエムだ」 「…………」 それを“詩”と呼んでいいものかどうか──を、瞬には判断することができなかった。 詩には、確かに、伝統的な詩の韻律形式にとらわれず、自由な内容や形式で作る“自由詩”というものが存在するし、氷河の詩を詩でないと断じる根拠を瞬は持たない。 ただ、これを詩と主張することで、JAROに訴えられるようなことになったらどうすればいいのかと、瞬はそれだけが心配だった。 |