「昨夜は、どこぞの国の大使夫人がワインの入ったグラスを落としかけたのを、この子が一滴も零さず受け止めてみせて、パーティ会場でやんやの大絶賛を受けたらしい」
「星矢にはできない芸当だな」
「どーせ、俺は粗忽でガサツなガードしかできねーよ!」

紫龍と氷河にからかわれて、わざと不機嫌そうに拗ねてみせる星矢を、小首をかしげたシュンが不思議そうに見上げる。
自分の大活躍と大人気を鼻にかけた様子もないシュンの表情に、星矢は怒らせていた肩から力を抜いて溜め息を一つついた。
「俺たちは機械の犬以下か」
「可愛らしさという点では確実に負けているな」

少々自虐的とも言える星矢と紫龍のやりとりに、沙織が苦笑する。
たまには人間様も持ち上げておいた方がいいと考えたのか、彼女はなだめるような表情で彼女の聖闘士たちに向き直った。
「ただ、瞬だから弱点はあるの。あなたたちが敵にまわれば、攻撃力はもちろん防御力も弱まるでしょうし、それに──」

いつのまにやらソファに腰をおろしている氷河の足許への移動を済ませているシュンを見やって、沙織は微笑した。
「それに、どうこう言っても犬だから、嬉しいと尻尾を振っちゃうのよね」

言われた星矢たちが再度小犬のシュンに視線を向けると、氷河の足許に鎮座ましましているシュンの尻尾は、沙織の言う通り、まるで身体のその部分だけが別の命を持っているように、ぱたぱたとせわしなく動いていた。
「瞬だな、これは」
紫龍の呟きに、星矢が思い切り納得したように大きく頷く。
それから、彼は、少しばかり複雑そうな顔になった。

「でもさ、こんな有能で芸達者なボディガードが幾らでも作れるようになったら、そのうちに、人間のボディガードどころか聖闘士だって機械に取って代わられることになるんじゃないのか?」
「ありがちな心配ね。でも、この子はとても高価なのよ。へたな兵器の開発より手間もお金もかかってるし、大量生産は無理。それに、普段は独立した意識と行動を許してるけど、有事の際には人間がこの子の動きを阻むこともできるの。結局、コントロールするのは人間なのよ。だいいち、この子には小宇宙もないし、聖衣を着ることもできないわ」

星矢の懸念を、沙織は軽く一蹴してみせた。
そして、安堵した星矢が肩から力を抜く前に、
「でも学習能力はあるから、シュンは星矢よりお利口かもしれないわ」
と続ける。

「どーせ、俺は学習能力皆無のイノシシ武者だよ!」
程よい高みにまで持ち上げたかと思うと 容赦なくそこから突き落としてみせる沙織のやり口に、星矢は拗ねたように唇をとがらせることになってしまったのである。
そんな星矢を、付き合いで笑ってみせてから、氷河は自分の足許にいる芸達者な生き物に視線を落とした。

移植された瞬の行動パターン――。
それは確かに愛すべきものなのかもしれない。
だが、瞬の価値観に沿って動く このヌイグルミは、沙織が言うように小宇宙を有していない。
それと同様に、シュンは心も持っていないのだ。
この小犬を可愛らしいと感じるのは、この機械に対峙している人間の心であって、シュン自身は心を有していない。

――奇妙な事象だと、氷河は思った。





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