それでも一輝は、瞬の願いをれて、もう2、3日だけ弟の許にいることを了承してくれた。
一輝の翻意は、瞬だけではなく瞬の仲間たちにも喜ばれたのだが、星矢はそれでもまだ不満をくすぶらせているようだった。
「氷河にさあ、オトナになられてもつまんねーんだよな。一輝だってほんとはそうなんじゃねーの?」

窓の外の桜は、いよいよ緑を増してきている。
横目に 過ぎ行く春の情緒を見やりながら、紫龍もまた星矢の意見に賛同し頷いた。
「氷河がガキらしく焼きもちを焼いてくれていれば、一輝は自分の優位性というものを感じていられて気分がよかっただろうしな」
「だよな〜」

頼もしい賛同者を得た星矢の語調が一層力を増す。
星矢は再度力説した。
「どっちにしてもさ、氷河はガキでいてくれた方がいいんだよ。みんながそれを望んでるんだ。 瞬、おまえだって、氷河に焼きもち焼かれるの、ほんとはそんなに悪い気はしないんだろ?」
「え? まあ……度が過ぎなければ」
ここまで“コドモ”でいることを望まれる氷河とはいったいどういう人間なのかと失笑しながら、瞬はあやふやな答えを星矢に返した。
そんな瞬を見て、紫龍が何やら考え込む様子を見せる。

「瞬が構わないのであれば、星矢のために氷河をガキに戻してやろうか? 一輝も――どうせまたここを出ていくのなら、いい気分にして送り出してやりたいしな」
「え?」
いったい何をする気なのかと瞬が紫龍に尋ねようとした時、ちょうど氷河がラウンジに入ってきた。
一輝の城戸邸滞在延長を氷河に伝えようとした瞬を、紫龍が目で制する。
瞬を黙らせてから、彼は、世間話でも持ちかけるような口調で氷河に告げた。

「氷河、いい場面を見損なったな」
「いい場面――とは何だ?」
告げられた言葉を反復して問い返してくる氷河の前で、紫龍は、意味ありげな視線を窓の外の桜の木に移した。
「さっき、一輝があの桜の下で、瞬を花に見立てて花見をしていた」
「なに?」
氷河の言を聞いた氷河が、ぴくりとこめかみを引きつらせる。

その神経質な反応に、星矢と瞬はもちろん気付いた。
気付きはしたのだが、彼等は氷河の反応の訳がわからなかった。
わからずにいる瞬に、氷河が確認を入れてくる。
「本当か」
「え? うん……まあ、そんなこと言ってたみたいだったけど……」
氷河の眉が吊り上がり始めているのに戸惑いつつ、瞬は頷いた。

そんな氷河に、紫龍が更にまたわざとらしいセリフを吐く。
「あしひきの 山桜花やまざくらばな 一目だに 君とし見てば 我れ恋ひめやも――日本人ならではの風雅というところだな」
紫龍が口にした歌を、氷河は最後まで聞いていなかった。

「一輝、あの野郎ーっっ !! 」
氷河は突然、その場にいない瞬の兄の名を、まるで咆哮するように怒鳴ったかと思うと、そのまま踵を返し、風雅も情緒もあったものではない乱暴な足取りで、瞬たちの前から走り去ってしまったのである。



■ 『あしひきの〜』 大伴家持
「山に咲く桜の花をあなたと一緒に見ることができたなら、これほどまでに花が恋しいとは思わないのに」の意



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