朝に東の宮殿を出た太陽神ヘリオスの御する太陽の馬車は、間もなく西の宮殿に至ろうとしていた。 日が暮れかけたエチオピアの海は、夕日の色に染まっている。 シュンは、その海岸の岩場に両手を鎖で縛りつけられていた。 消えかけた炎の色に染まった波がシュンの素足を濡らし、夕凪の前の最後の波風が、シュンの身体を覆うたった一枚の白い薄物の裾をからかって消えていく。 この岩場に縛りつけられてから さほどの時間も経っていないというのに、頭の上で交差するシュンの手首を捕らえている青銅の鎖は、その腕に通う血の量を極端に減らし、それでなくても白い腕を雪花石膏の色に変えていた。 既にシュンの上腕には感覚もない。 「この国では、罪人をこんなふうに罰するのか」 ふいに、シュンが繋がれている大岩の上から人の声が響いてくる。 びくりと身体を震わせたシュンの前に、大岩の上から下り立ったのは一人の若い男のようだった。 その日の最後の陽光を逆光にして、金色の髪が輝いている。 なぜここに今、人がいるのかとシュンが訝ったのはほんの一瞬だけだった。 今日これからここで何が起こるのかは、王宮の奥深くにいる姫君以外のすべての国民が知っている。 にも関わらず この場にいるということは、彼はこの国の民ではないのだ。 シュンは金髪の異邦人に向かって叫んだ。 「に……逃げてっ! ここからすぐに立ち去ってください! ここにはまもなく海獣が――」 「海獣? トドかセイウチがこんな岩場にねぐらを構えているのか」 「そんな海獣じゃありませんっ! 海神ポセイドンの差し向けた海獣ティアマトが、僕を殺しに……あ……っ!」 異邦人の肩の向こうにある海が大きく泡立つ。 エチオピアの海岸は、波風が止まり、不気味な夕凪に支配され始めていた。 風の消えた浜辺に、シュンは再度、悲鳴に似た声を響かせた。 「に……逃げて! 早くっ! 何をぼやぼやしてるのっ!」 「逃げてと言われても――その海獣とやらが来たら、おまえはどうなる」 「自分の命と見知らぬ他人の命とどっちが大事なのっ!」 「そういうおまえはどっちが大事なんだ」 彼は、自分の背後で起こっている異変に気付いていないのだろうか。 男の鈍感さに腹を立てたシュンの悲鳴は、いつのまにか怒声に変わってしまっていた。 「僕はどうでもいいから、早くここから立ち去れっ!」 そこまで言われて初めて、鈍感な異邦人は彼の背後の海を振り返った。 異変に、彼は気付いていなかったわけではないらしい。 穏やかだった海に大きな波を作っているものの姿を認めたはずなのに──彼は少しも慌てた様子を見せなかった。 海獣は既に沖というほどの距離もない場所にまでやってきている。 その巨大さを考えれば、金髪の異邦人には既に安全な場所に逃げられるだけの時間は残っていない。 だというのに、彼が海獣の姿を見て発した声は、 「おー、トドにしてはでかいな」 という、腹立たしいほどのんびりしたものだった。 潮が満ちる時刻ではないのに、海水がシュンの膝を濡らす。 (もう間に合わない……!) 恐怖と絶望が、シュンの目を固く閉じさせた。 |