ヒョウガがシュンに“説明”をする気になってくれたのは、シュンたちを拾いあげた帆船が海の上を東に向かって走り始め、船尾の甲板で目を凝らしても故国の岸が見えなくなってしまってからだった。

呆れたことに、ヒョウガはアンドロメダ姫よりも長い大層な名前の持つアルゴスの国王だった。
大神ゼウスの落とし胤という噂もあるらしい。
叔父に奪われていた王位の奪取を計画していた時に、通りす・・・がり・・のシュンの兄と知り合い、助力を得て、その計画を遂行した――という話だった。

口から出任せの大嘘と思っていたゼウスの神託も、アルゴスのゼウス神殿で実際に下されたものだった。
もっともヒョウガは、神託の有効性というものを全く認めていないようだったが。


――風は順風だった。
船自身が帰国を急いているような速さで、帆船は東へと向かっている。
見えなくなった故国の方角を見つめ、シュンは、割り切れない感情が強まっていく自分自身の心を持て余していた。

郷愁のせいではない。
ただシュンは、自分が好きになった相手が、自分の思い描いていたような人間でなかったことに、落胆に似た感情を抱き始めていたのだ。
シュンが好きになったヒョウガは、シュンに自由と勇気と力を与えてくれる、通りすがりのただの美形だった。
国や王位などという面倒なものに縛られている人間ではなく。

それだけならまだしも、シュンがヒョウガの自信と信じていたものが、権力者のただの傲慢に過ぎなかったとしたら、アルゴスの国王は もはやシュンの好きになったヒョウガではない。

「ヒョウガが……大神ゼウスの息子だっていうのはほんと?」
シュンの声が沈んでいる理由に気付いているのかいないのか、シュンを見詰め返すヒョウガの声音と態度は淡々としたものだった。
「俺は信じていない。神によって子供を身籠ったなんてのは、未婚の娘が子供を産んだ時の常套の言い逃れだろう。母は俺を愛してくれたが、本当のことは何も告げずに早くに亡くなった」

「……神の血を引いているかもしれなくて、アルゴスの王様で――だからヒョウガはいつもあんなに自信満々なの」
「…………」
シュンがこの船で知らされた事実を全く喜んでいないことに、ヒョウガはどうやら気付いていたらしい。
シュンの悄然とした横顔に腹を立てたように、彼はシュンの頬を指でつねった。

「おまえはこんなに可愛いのに、どうして時々そんなに馬鹿になるんだ。俺が自信満々なのは、俺が人間だからに決まっているだろう」
「え?」
「神みたいに何もかもを見通せる存在が 自信なんてものを持てるはずがない。無知で非力な人間だから無茶もできるんだ」

ヒョウガの意外な謙遜に驚いて、シュンは2、3度瞬きを繰り返した。
太陽は中天にあり、東に向かって吹く風が雲をどこかに運んでいく。
世界は輝いていた。
その事実に気付かずにいる人間は愚か者だと思えるほどに、まばゆく。

「人間でよかった。俺はおまえのためになら、神とでも闘う」
「それが生きるってことだから?」
「そうだ」

世界は確かに輝いていた。
その世界の中心に二人はいる。
“馬鹿”でいることをやめると、シュンの口許には自然に笑みが浮かんできた。
つまらないことで消沈していた先ほどまでの自分が滑稽に思えてくる。
シュンの光の源である 通りすがりのただの美形は、昨日と今日とで何も変わっていない。
シュンが目を閉じてしまえば、存在する光も見えなくなる。
ただそれだけのことなのだ。

「なんだかヒョウガといると、僕も運命とだって闘えそうな気になってくる」
自らの光に向き直り、笑って、シュンはその光に言った。

「おまえなら連戦連勝だろう」
ヒョウガは本気でそう思っているらしかった。
ヒョウガにそう言われると、本当にそうなるような気がしてくる。
その予感はおそらく実現するだろう――と、シュンは思った。
自分が光を見失ってしまわない限り。
戦うことを諦めてしまわない限り。

シュンは故国を離れた船の甲板で、大きく息を吸い、そして吐き出した。
風は東に向かって吹いている。
世界は輝いていた。






Fin.






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