「氷河、ちゃんと敬語 使うんだもの。びっくりして涙出ちゃった」 氷河に失態を責められる前に、瞬は機先を制した。 瞬のありえない弁明に、氷河は目を剥いたのだが、彼はこの場はあえて事実の追及をせずに済ませることにした。 「尊敬できる相手には、いくらでも敬意を払うぞ、俺は」 結局目的のものを買いそびれて 二人は雑貨店を出たのだが、その頃には瞬は、自分が何を求めてその店に入ったのだったかということさえ忘れてしまっていた。 昼にはまだ少し早い時刻、屋外では陽光が踊っている。 人通りの少ない午前中の街は、周囲の建物やアスファルト道の照り返しのせいもあって、ほとんど初夏の様相を呈していた。 氷河の追及の手を回避できて安堵したばかりのはずの瞬が、氷河の手に指を伸ばしてくる。 ためらうように 人差し指と薬指で2、3度氷河の手の甲をつついていた瞬は、やがて意を決したように氷河の手を握りしめた。 そして、言う。 「氷河、つらいときには僕に言ってね。マーマの代わりに僕が抱きしめてあげるから」 「俺は──」 もうそんな子供ではないし、抱きしめてもらうより 瞬がつらそうだったので、瞬の肩を抱きしめる。 そうできることがどれほど幸運なことなのかを、氷河はよく知っていた。 いつもなら人目のあるところでは、肩を抱かれるどころか並んで歩くことさえ嫌がる瞬が、珍しく氷河の肩に頬を預けてくる。 そして、独り言を呟くように小さな声で、瞬は氷河に言った。 「人間て、何ていうか……とても切なくて、とても優しい生き物だね。そう思う」 「優しくないと生きている価値がない生き物だそうだからな」 どこぞのハードボイルド作家の言葉を借りて相槌を打つ氷河に、瞬も続くフレーズを借用する。 「そして、強くなければ生きていけないんだよね」 「そうだ」 あの老婦人と少年は、その両方を兼ね備えている。 自分と話す時だけ少し猫背になってくれる氷河を見上げ、その青い瞳が翳りなく輝いていることを認め――瞬はひどく幸せな気分になった。 「じゃあ、僕たちもそういうものになろう」 「ああ」 そういうものになることは、さほど困難な事業ではないような気がした。 瞬は瞬ひとりで生きているのではなく、氷河も氷河ひとりで生きているのではなく──二人は二人だったので。 二人には、幸せになってほしい人がいた。 Fin.
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