「氷河も古い話を持ち出したもんだね」
子供たちに帰宅を促し、その後ろ姿を見送っていた氷河の肩の上に、突然 瞬の声が降ってくる。
いつからそこにいたのか――氷河が子供たちに物語を物語る間、椅子の代わりにしていた花崗岩に、今は瞬が腰をおろしていた。
一瞬表情に出たばつの悪さをすぐに引っ込めて、氷河が唇の端を僅かに歪める。

「そんなに昔の話じゃないだろう。ついこの間の出来事だ」
「あの子たち、このへんの子?」
「聖域に入り込みそうになってたんで、気をそらせるために、ガキ共を集めて昔話をしてやったんだ」
「……で、あの子たちは、氷河が氷河だって知ってるの?」

まさかと言うように、氷河が両の肩をすくめる。
氷河のその仕草を見やって、瞬は曖昧な微笑を浮かべた。
この瞬を“馬鹿”だと思っていた かつての自分を思い出し、氷河は今更ながらに冷や汗をかいた。

「あの時から――」
「なに?」
腰をおろしていた岩から飛び降りて、瞬が氷河の側に歩み寄ってくる。
その姿が、逆光で眩しい。
氷河は僅かに目を細めた。

「――あの時からずっと考えていた。おまえは、あれが俺でなくても同じことをしたな」
「うん」
瞬が、氷河の胸の中で頷く。
至極あっさりしたその答えに、氷河は少々落胆を覚え――だが、不思議に悔しいという気持ちは生まれてこなかった。
ならば自分はひどく幸運な男だったのだと、今なら思うことができる。

「でも、今、同じことが起きたら――」
氷河のそんな複雑な思いを察したのか、瞬は、氷河の胸にすり寄せるように頬を押し当ててきた。
「星矢や紫龍には、彼等に死んでほしくないから同じことをするけど、氷河には……多分、僕は、僕自身が生きるために氷河を助けようとすると思う」
「…………」

誰よりも この世界の美しいものを見極める力を持った人間が、かつての愚か者にそう言ってくれるのである。
これ以上望むことがあるだろうかと、望めることがあるだろうかと、氷河は心底から思った。


「さて、帰るか」
「うん」
瞬の肩を抱き、二人で、あの少女たちが去っていった方向とは逆の道を辿り始める。
ついこ・・・の間・・熾烈な死闘のあった場所は、夕日の色に染まっていた。
今は静かな、今は穏やかな、今は平和なこの光景――。

「綺麗だね」
「ああ、綺麗だな」

その一言を言うために、どれほど長い時間を費やし、どれほど多くの犠牲を払ってきたことか。
だからこそ――哀しいほどに世界は美しかった。






Fin.






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