[ II ]






翌日、瞬は、目覚めるなり、もう一度あの肖像画のある部屋に向かいました。
瞬にはその部屋が、このお城の中で唯一 優しいものがある場所に思えて、どうしてももう一度そこに行かずにはいられなかったのです。

瞬がその部屋の扉を開けると、そこには先客がいました。
先客といっても、このお城には瞬の他には公爵――氷河――しかいませんでしたからね。
そこにいたのは、このお城のもう一人の住人でした。

氷河がそこにいただけだったなら、瞬はさほど驚きはしなかったでしょう。
そこは、氷河にとっても大切な場所であるに違いないのですから。
けれど、瞬がその部屋の扉を開けた時、瞬の視界に飛び込んできたものは驚くべき光景――とても恐ろしい光景でした。

昨日は一枚の肖像画の他には白い壁しかなかった部屋が深紅に染まっています。
それは人の血――氷河の血の色で、氷河は自分の顔をナイフで切り刻むことで、その部屋の床や壁を深紅に染めていたのです。

「やめてっ! 何をしてるのっ!」
瞬は慌てて氷河の側に駆け寄り、彼の手から血に濡れたナイフを奪い取りました。
「あ……」
そうしてその時、いつも黒いフードで隠されていた氷河の素顔を、瞬は初めて見ることになりました。
氷河の顔は血だらけで、傷だらけで、見ようによっては確かに化け物のそれでした。

けれど、そんなことはまだ驚くべきことでも何でもなかったのです。
あまりの惨状に為す術もなくその場にへたりこんでしまった瞬の目の前で、やがて、本当に驚くべきことが起こりました。
ナイフで切り刻まれた氷河の顔の傷がふさがり、流れていた血が止まり、周囲に飛び散っていた血さえも消えて――まもなくそこには傷ひとつない冷たい美貌の持ち主が現れたのです。
肖像画に描かれた幼い少年とは随分印象が変わってしまっていましたが、それは確かにあの少年の成長した姿でした。

瞬はぞっとしてしまったのです。
いつのまにか用意されている食事や 不自然なほど掃除の行き届いた部屋の様子なら、魔法と言われても瞬はさして恐ろしくはありませんでした。
それはあくまでも“もの”に関した魔法です。
人間が時間と手間をかければ、魔法に頼らなくても成し遂げられることなのです。

けれど、今 瞬の目の前で行われた魔法は、“ひと”に関する魔法でした。
死んでいてもおかしくないほどの量の血を流していたのに、氷河は生きています。
跡が残らないのがおかしいほどの深い創傷が、まるで何事もなかったかのように消え去ってしまっています。

傷の一つ 血の一滴もなく整って美しい氷河の顔が、瞬には化け物のそれに思えました。






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