氷河は、“朝からそんな”状態で、寝室からの続き部屋になっているバスルームに飛び込んだ。
すべての原因は、瞬が自分の視界の内にあるからで、瞬が視界の外に出ていってくれさえすれば、自分はこの危機的状況から逃れることができるはずだと、氷河は必死に自身に言いきかせた。

「落ち着け! 落ち着くんだ、キグナス氷河!」
網膜に残る瞬の残像を振り払うために、氷河は声に出して自分自身を叱咤した。
『クール』という単語の載っていない自分の辞書を、今日ほど恨めしく思ったことはない。

そして、氷河は、自分がなぜこんな苦境に追い込まれることになったのかを、どうしても思い出せなかった。
――否、昨夜の出来事を鮮明に憶えているからこそ、現状が理解できなかった。
昨夜 氷河は、冷たい言葉――それは心にもない言葉でもあったのだが――で、瞬を突き放した――のだ。

『俺に構うな』
そんな言葉が口を衝いて出た訳は――思えば、今 氷河が置かれている状況と全く逆であり、また、考えようによっては、全く同じでもあった。
触れてはいけないと、氷河が勝手に思い込んでいるものが近付いてきたから。
ただそれだけ。
ただそれだけのことを疎ましく感じた瞬間に、その言葉は氷河の口を衝いて外に飛び出てしまっていたのだ。

その言葉を投げつけられた時の、瞬の傷付いたような瞳――。
氷河はその瞳を長く見ていることができずに、すぐにその上から視線を逸らしてしまった。
だから、瞬の瞳から涙が零れ落ちたのかどうかを、氷河は実は知らなかった。

ともあれ、そんなふうに昨夜の霞がかかったように潤んだ瞬の瞳を思い出しているうちに、氷河の心身は、この場合は有難いことに、幾分落ち着いてきた。
その氷河の心臓を、再び刺激するものが、近付いてくる。

「氷河」
氷河の名を呼ぶ瞬の声が、バスルームのドアの前から聞こえてきた。
今 全裸の瞬などを見てしまったら、何がどうなることか。
そんな場面を想像したくなかった氷河は、開きかけたドアを無理に閉じようとしたのだが、氷河のその狼狽は全く無意味なものだった。
半分ほど開かれてしまっていたドアの向こうに立つ瞬は、既に身仕舞いを済ませていたのである。

着衣の瞬は、氷河の裸身を見てももう驚くことはせず、ただ少しばかり呆れたような声で、氷河に言ったのだった。
「いつまでもそんな格好でいないで、早く服着て。朝ご飯 食べにいこ」

気が抜けたのは ほんの一瞬。
氷河の混乱は、静かに深いものへと変化していった。






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