氷河を取り巻いている女生徒たちに笑われているような気がして、瞬はさっと木の陰に身を隠した。

「やめといた方がいいと思うぞ、俺は」
持参の弁当に手もつけずに 恋する乙女ごっこをしている瞬に、星矢は投げやりな口調で忠告したのである。
ベンチにあぐらをかいて昼食をとっていた星矢は、その弁当をあらかた食べ終わっていた。

「氷河の周りにいつも女が3人いるだろ。あの3人、3人共 氷河と同じ3年生なんだけど、全部氷河の婚約者なんだぜ」
「彼はイスラム教徒なの?」
「ちゃうちゃう。奴は、ああ見えても国籍は日本人。宗教はどうか知らねーけど、日本人なんだから、法的に結婚できる相手は一人だけ。なんか、あの3人、すげー金持ちのご令嬢でさ、氷河は成人したら、あの3人の中からどれか1人を選ぶことになってるらしい」

星矢が語る氷河の3人の婚約者の話ではなく、その3人を『どれか』と物扱いする星矢の言葉の選択の方に、瞬は我知らず眉をひそめた。
「氷河の親父さんてのは、持ってる不動産の数知れずっていう総合ディベロッパー企業の社長だか会長だか何だかで、あの3人は確か、代議士の娘、某運輸観光企業の社長令嬢、某都市銀行の頭取の娘」

星矢が『誰か』と言わず『どれか』と言うのは、しかし、彼が彼女たちを軽んじているからではなく、それほどに――自分と同じ人間とは思えないほどに――彼女たちを別世界の存在と思っているからのようだった。
たった50メートルしか離れていないカフェテラスにいる上級生たちと自分とでは 住んでいる世界が違うのだと、彼は言いたいらしい――感じているらしい。

「……でも」
それでも、である。
「それでも、氷河とオトモダチになりたいわけか」
「うん」
瞬は素直に頷いた。
二つの世界は、たった50メートルしか離れていないのである。
星矢としても、瞬の望みをすげなく一蹴することはできなかった。

「んー、そーだなー。となったら、やっぱこれだろ。弁当攻撃」
星矢が、手にしていた箸で、ほとんど空になった自分の弁当箱を指し示す。
瞬は僅かに頭を右を傾けた。
「お弁当?」
「金持ちの息子で、あのツラで、アタマもよくて、女は常時3人キープ。何不自由ない金持ちのぼんぼんに ただひとつ欠けているもの、それが母親だ」

「お母さん?」
問い返した瞬に、星矢が大きく頷き返す。
「養父か実父かは知らないけど、父親はいるわけなんだよ。でも氷河の母親は、ガキの頃亡くなったらしい。父親に引き取られたのも結構遅くて、中学入ってからのことらしいぞ」

『奴と同じ施設にいた時期は短かったし、俺もガキだったから、よくは知らねーけど』と断りを入れてから、星矢は言い募った。
「昼飯も、いつもあんなふうにカフェテリアか学食で食ってるし、手作りの料理とか弁当とかに飢えてるんじゃないのかな」

そんなことを言っているうちに、星矢の腹の中には、根拠のない自信が湧いてきたらしい。
彼の仮定文は、徐々に断定的な物言いに変化していった。
「食い物で釣るのがいちばん有効だろ。俺ならころっと参っちまうぞ」
それが自分基準の判断だということに気付いているのかいないのか、実姉が作ってくれた弁当を綺麗に食べ終えた星矢は、空になった弁当箱に両手を合わせて大袈裟に感謝の意を示してみせた。

「そっか、お弁当か……」
決して星矢の断言を鵜呑みにしたわけではなかったのだが、瞬は別の根拠から、彼に授けられた作戦を実行に移す決意を固めたのだった。






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