もういくつ寝ると






あと半日ほどで新しい年がやってくる――大晦日の昼下がり。
昨日と今日とで何が変わるというわけでもないのに、世の中は新しい年を迎えることに浮かれている。
おそらく誰もが今年1年を無事に――色々なことがあったにしても無事に――終えたことに安堵し、新しい年にはきっと何か素晴らしいことが起こるに違いないと、希望を抱いているのだろう。
氷河は、その空気が――否、何もかもが――不愉快だった。
というより、すべてが鬱陶しくてならなかった。

「なに、ぼや〜っとしてんだよ。おまえ、今年の元旦は瞬と墓参りにでも行くもんだと思ってたのに」
「墓参りじゃない。初詣でだ」
「似たようなもんだろ。行かないのか?」
たとえ星矢がその二つの行為の相違を本気で理解していないのだとしても、墓参と初詣の違いを いちいち説明する気にもならない。
冗談で言っているのならなおさら、氷河は今は星矢の相手をする気にはなれなかった。
半ば無意識に、視界に星矢の姿が入らない場所に視線を泳がせ、低く呟く。
「新年を迎えるたびに、人間もリセットできればいいのに」
「へ?」

氷河のその呟きを聞いて初めて、星矢は彼の憂い顔に気付いた。
そして、奇妙に思った。
氷河は今は、幸せいっぱい状態でいていいはずの男である。
なにしろ氷河は、この師走、めでたく瞬とご昵懇じっこんの仲になり、今は彼等の蜜月期間のはずだったのだ。

別に二人にその件を華々しく宣言されたわけではないのだが、こういうことは、たとえ当人たちが隠そうとしても いつのまにか周囲に洩れ、知れ渡るものである。
隠そうとしても洩れるものを隠そうとしなかったなら、これはもう筒抜けである。
というより、そういう仲になってから、氷河はまるで盛りのついた猫のように昼といわず夜といわず、瞬を寝室に引っ張り込み、星矢は瞬の身体の心配をするほどだったのだ。

寝室に引っ張り込んでコトに及ぶならまだましな方である。
数日前など、部屋に行くまで待てなかったのか、1階と2階をつなぐ階段の踊り場で、嫌がる瞬を押さえつけ、ほとんどレイプまがいに その行為に及んでいる氷河の姿を、星矢は目撃していた。
ちょうど日が暮れかけた頃で、踊り場の窓から入る夕陽が逆光になり、妙になまめかしく絡み合う二つのシルエットを、星矢は影絵でも見るような気分で視界に写し取ることになったのである。
この階段を使うのが主に城戸邸に起居している青銅聖闘士たちだけといっても、いつ使用人がやってくるかもしれないような場所でそういう行為に及ぶ氷河の大胆さに、星矢は顔をしかめてしまったのだった。

星矢がその大胆不敵な行為を止めに入らなかったのは、ばつが悪かったせいもあるが、止めに入るべきかどうかを悩んでいるうちに、瞬の泣き声が艶めいた喘ぎ声に変わってしまったせいだった。
蜂蜜がとろけるような瞬の声が、静かな夕暮れの時間の中を流れていく。
いくら遠慮を知らない天衣無縫・明朗快活が売りの星矢でも、ここで『場所柄をわきまえろ』などという常識的な苦言を引っさげて、二人の間に入っていける状況ではなかった。
そんなことをしたら、氷河ではなく瞬に恨まれそうだったのだ。


「おまえ、今、発情期真っ只中だろ。幸せいっぱい夢いっぱいのはずだろ。なんだよ、その不景気なツラは」
「…………」
欲しかったものを手に入れ、(言葉は悪いが)あっというまに自分に馴らしてしまった氷河の、この憂色。
星矢が奇異に思っても、それは当然のことだった。
得意面を見せられても不愉快ではあったろうが、だからといって この沈鬱な顔はないだろう――と、星矢は思ったのである。
返事を返してこない氷河に、再度問う。
「何をリセットしたいって?」
「――瞬の記憶と俺の記憶」
「瞬とおまえの記憶?」

氷河は、食い下がる星矢を追い払うために、素っ気なく その場しのぎの答えを与えただけのつもりだった。
本当にそうだったのか、事実は己れの胸中にわだかまっているものを誰かに聞いてほしかったのではないか――そんなことすらも考えずに。

結果として少々軽率なものになってしまった氷河のその返答に、星矢の瞳が突然 爛々と輝きだす。
氷河は、その非常識なまでの獣欲のせいで早くも瞬に愛想を尽かされてしまったに違いない。
氷河の憂い顔の原因をそう察して、星矢は張り切ったのである。
平和で退屈な大晦日に、こんな楽しいイベントはない。
腰をおろしていたスツールから やおら立ち上がった星矢は、ラウンジの庭に面したベランダに出て、庭の樹木に霜囲いを施す作業にいそしんでいた紫龍を、大声で呼びつけた。
「紫龍、こっち来いよ! 氷河と瞬がなんか面白いことになってるぞー!」

言うべきではなかったと、氷河が後悔したときには後の祭り。
それから2分後。
氷河の真正面の椅子に着席した星矢と紫龍は、準備完了と言わんばかりの顔つきで、悩める白鳥座の聖闘士を見詰めていた。






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