そこに辿り着けたことを奇跡だとは、瞬は思わなかった。 途中 神闘士の一人に城への侵入を阻まれはしたが、付近に兄の小宇宙を感じたので、反射的に瞬はその敵をやり過ごした。 彼は、弟にいつものセリフを言ってもらえず不機嫌になった不死鳥の聖闘士の敵ではないだろう。 瞬は後ろを振り向くこともせずに、ドルバルの許に急ぎ、そして辿り着いた。 瞬の真の敵は、教主の座のある広いホールに ただ一人いた。 ここは本当に人工的に作られた城の中にある場所なのかと、瞬は疑ったのである。 氷でできていると言われても信じられる冷たい灰色の壁に囲まれたホールには、教主のための椅子が一脚あるきりで、調度の類は一つもない。 今の氷河の心のようだと、瞬は思った。 「あなたを倒したら、氷河は元の氷河に戻りますか」 「余をなら、傷付け倒しても心は痛まぬか。人を傷付けるのが嫌いなアンドロメダ」 ここまで駆けてきた心臓の鼓動が平常の早さを取り戻すのも待たず、ドルバルに噛みついていった瞬は、彼のその言葉によって我にかえった。 そして、氷河への思いのせいで、彼を氷河でないものにした力への憤りのせいで、氷河だけでなく自分自身までが いつもの自分でなくなっていることに気付く。 紫龍を、兄を、敵の前に置き去りにし――それは彼等の力を信じているためであるにしても――、姿の見えない星矢の身を案じることさえしていなかった自分に、今になって瞬は愕然とした。 そして、それ以上に――。 「痛まない……。あなたを傷付けても、僕の心は傷付かない……どうして……」 それでも氷河に、元の彼に戻ってほしいのだ。 たとえ自分が自分を失うことになっても、氷河には“氷河”であってほしい。 ドルバルの言葉によって呼び起こされた戸惑いが、混乱に変わる。 苦しくて眉根を寄せた瞬を、ドルバルは哀れむように高座から見下ろした。 そして、その高座から優しい誘惑者の顔をして降りてくる。 「“氷河”の 「そんなのは氷河じゃない……!」 少なくともそれは瞬の好きになった氷河ではなかった。 そして、そんな氷河を見ていることに耐えられず、瞬はここに来たのだ。 だが、教主ドルバルはゆっくりと――彼の周囲だけ時間の流れが違っているようにゆっくりと――瞬に横に首を振ってみせた。 「何を言う。それこそが“氷河”だ。あの男がそなたに向ける思いには、あの男のすべてが込められている。愛していた母親、失った師、奪われた幸福、敵を倒したことで傷付いた心の癒し、それらの思いのすべてが集まって、あの男のおまえへの思いができている」 「あなたは――」 そこまで見透かしていながら――この男は 「あなたはそれを氷河から奪ったの! そうされることで氷河が氷河でなくなることを知っていて、その上で――」 この男は氷河を殺したのだ。 氷河の心を殺した。 それがわかった時、瞬は本気で彼を倒すことを決めたのである。 意識しなくても小宇宙が燃え始める。 「そなたごときに余は倒せん」 「倒す。あなたは氷河を殺した。倒さずにいたら、やがてすべての人の心を殺すだろう」 「余を倒しても、氷河は元に戻らないと言ったらどうする。生きている余にしか、あれにかけられた術は解けないと言ったら」 オーディーン神の地上代行者には、他の国の神の 彼は、まるで瞬をからかい遊んでいるかのように楽しそうな声で そう言った。 一瞬ためらった瞬の頬に手を当て、腰をかがめ 瞬の顔を覗き込み、それから彼は、またゆっくりと その目を細めた。 「可愛らしいのぅ。アテナが実に羨ましい。余の神闘士は愛想のない者ばかりでな。地上の支配でも企まぬことには、毎日が退屈でならぬのだ。“氷河”を失ったミッドガルドの悲愴もよかったが、そなたも美しい人形になってくれそうだ」 ドルバルの舐めるような視線が、瞬の目を見詰め、唇を見詰め、瞬の表情を作るすべての顔の部品をいちいち確かめる。 「迷いも悩みもなく心もなく、ただ余にだけ忠誠を誓う可愛らしい人形が一つ欲しいと思っていたところだ」 その視線と ねっとりした声に、瞬は全身を粟立たせる思いで耐えていた。 「たまにはミッドガルドと愛し合わせてやろう。雪と氷に閉ざされたこの北の国には、良い酒肴もなくてな。そなたたちの戯れを見ながら酒を飲むのも一興。否やは言わせぬ」 そう言って笑うドルバルの身体が、ふいに瞬に覆いかぶさるように巨大なものになる。 が、実際にそんなことが あるはずがない。 自分は既に彼の術中に落ちている――と、瞬が気付いた時にはもう遅かった。 |