氷河がどこまで本気なのかを、星矢は量りかねた。
だが、すぐに、氷河のことだから全く本気なのだろうと思い至る。
そんなことに本気で挑む人間を、世間では“馬鹿”という。
星矢もそう思った。
「瞬、この馬鹿をどーにかしろよ!」
「僕も、そんな愛の証なんていらないって言ったんだけど、それじゃ氷河の気が済まないって――」
「気が済む済まないの問題じゃないだろ! アレは 気を済ませるためにすることじゃない」
「それも言ったんだけど……」
そんな常識論を言われて大人しく従うようなら、それは氷河ではない。
そして氷河はあくまでも――どこまでも氷河だった。
極めて常識的な星矢の意見を、彼は柳に風と受け流した。

「自分の愛の証を立てたいなどと言い張ることは、暗に同じことを相手に対しても要求することにならないか」
氷河の非常識な態度を見兼ねた紫龍が、初めて口を開く。
彼は、こんな男と命を懸けた闘いを共にしている自分が心底情けないと言わんばかりの顔をしていた。

「僕もその点については追求してみたんだけど……。『僕はどうやって、それを証明したらいいの?』って。でも、氷河に言わせると、僕は――」
僅かに言いよどんだ瞬の言葉の先を引き継いだのは氷河だった。
「瞬は縫い合わされていない傷口みたいなものだ。闘うことを割り切れている俺と違って、闘うたびに傷付いているのに、その傷が癒えることなど おそらくないのに、それでも俺を受け入れてくれる。それだけで俺には十分すぎるほどの証だ。俺は瞬の心を疑ったことはない」
瞬が言いよどんだのは、氷河の中で美化されすぎている自分自身に言及することをためらいを感じたせいだったらしい。
言いにくいところを氷河に言ってもらってから、その言葉を聞いて、瞬は小さく吐息した。

「僕だって氷河の気持ちを疑ったことはないよ。僕だって、氷河と一緒にいられるのは嬉しいし、その……気持ちいいのに、氷河はいつも、他人を自分の中に受け入れるのは恐いだろうって言って、つらいだろうって言って、でも我慢してくれって すまなそうに言うんだ……。僕はつらくなんかないし、氷河にそうしてもらえることを喜んでるのに……!」
氷河の無理解を仲間たちに訴える形をとって、瞬が自身の気持ちを伝えようとしている相手は、やはり氷河だった。

「おまえら、のろけてんのかよ」
これ以上 男同士の閨房での睦言など聞きたくないという顔になって、星矢がぼやく。
と同時に、相手が氷河と同性の瞬だから そういう言葉は不適当なのかもしれないが、氷河は究極のフェミニストなのかもしれないと、星矢は思ったのである。
しかし、瞬がもし少女なのであれば、氷河はそんな考え――他人をその身に受け入れることがつらいことだなどという考え――を抱きもしないのだろうから――つまり氷河は、男子である瞬に対してのみフェミニストなのだ。
矛盾した話ではある。

「縫い合わされていない傷口、ね――」
どこかで聞いたことのあるフレーズに、紫龍が低く呻く。
氷河がそのフレーズを肉体的なこととして語っているのか、あるいは精神論として語っているのか、はたまた その両方なのかはともかくも、氷河が、瞬の愛情だけは疑っておらず、自分の心の証だけが立っていないと考えているのは事実のようだった。
瞬自身はむしろ その行為を、傷口を開くことではなく縫合に似た行為だと思っているのだろうにも関わらず、である。
どちらにしても、瞬は氷河の愛の証を立てる行為に付き合わされるのだから、それは瞬にとってはいい迷惑であるには違いない。
そして、氷河によって いい迷惑を被っている瞬が求めているものは、既に確信できている氷河の愛情の証などではなく、睡眠不足を招くだけのこの事態を打破する具体的な方策であるらしかった。

「問題はやっぱりそんなことじゃなくて、僕たちがへたに聖闘士なもんだから 常人より体力があって、氷河が何度でもできて、僕もいくらでも氷河の相手ができちゃうことなんだよね。疲れたように感じるのも、ほんの一時で……。限界なんてあるのかな、あれ」
敵は倒しても虫は殺さぬ清楚な顔で、瞬が実に恐ろしいことを平然と言ってのける。
つまりは、瞬も、氷河の挑戦を無謀無意味と思いつつ、それでもやはり『楽しい』の域を出ることができずにいる――のだ。

「絶倫というのは、実に下品極まりないことだ」
嫌そうに言う紫龍に、彼よりももっと渋い顔で、星矢がきっぱり断言する。
「てか、病気だろ、それ」
夜を徹して、しかも連夜、睡眠不足になるほど その行為を続けていながら、飽きることを知らない氷河と瞬の精神の強靭さ――それはどう考えても病気だった。
少なくとも星矢はそう思った。



■ どこかで聞いたことのあるフレーズ: 『北回帰線』 By Henry Millar



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