「おい、くそガキ〜! チューリップの花が咲き始めやがったぞ、見にきやがれ!」
到底品がいい声とは言い難い声が城戸邸の庭から響いてくる。
朝からムードも何もない――と不満たらたらの氷河をその場に残し、瞬はさっさと服を着けて、氷河の部屋を出ていってしまった。
今年は冬が長く、寒さも厳しかった。
瞬は、この時をずっと待ち焦がれていたのだ。

瞬に10分ほど遅れて 氷河が花壇まで下りていくと、そこでは既に瞬がカロンを相手に大いに盛り上がっていた。
「わあ、なんだか初々しくて可愛い!」
花が開いたというより、蕾が色づいたと言った方が正しいようなチューリップの姿に、瞬がいちいち歓声をあげている。

「チューリップが咲くと、ほんとに春が来たんだって感じがするね」
「どうだ。俺様が植えたシンビジウムも順調に育ってやがるぜ。こいつは、花を咲かせるのが難しい花なんだ。だが、どんな奴だって、俺様の手にかかればこの通りってわけよ」
「すごい。きっとカロンは緑の指を持ってるんだ」
「なんだ、その緑の指ってのは? 俺様は化け物じゃねぇぞ」
瞬の感嘆に、カロンが微妙に顔を歪める。
瞬は笑いながら、カロンに横に首を振ってみせた。

「植物を育てるのが上手な人のことを、緑の指を持つ人って言うんだよ。世界中のガーデナーが羨む才能。それをカロンは持ってるんだ」
最近カロンが非常に真面目にガーデニングの勉強をしていることを知っていた瞬は、そのことも含めて、カロンの緑の指を賞賛した。
カロンが沙織の探してきてくれた企業の面接に行っていなかったことは、花を愛するカロンには警備の仕事はもともと向いていなかったのだということで、瞬の中では解決がついていた。

瞬の賞賛と笑顔に、まんざらでもない様子でカロンが頷く。
「へぇ、そうか。なるほどねー」
新しい仕事に精を出すカロンは、今ではすっかり気のいいおじさんになっていた。
無論、彼はそれで幸福だった。――それが幸福だった。

城戸邸でガーデナーとしての第二の人生を歩み始めた(元)天間星アケローンのカロンは、今日も今日とて、瞬の目を輝かせることのできる美しい庭を作るため、花壇で土いじりにいそしんでいる。

――アケローン河の上流・レーテ河の彼方にあるという楽園エリシオン。
かつて冥界のアケローン河に浮かぶ舟の上で、『同じ冥界でも地獄の番をする俺には全く縁のないところ』と語った至福の園エリシオンに、確かに今 彼は 立っていた。






Fin.






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