ホストクラブ“サンクチュアリ”の開店は8時。 最初の客が店に来たのは開店後まもなくのことだった。 店の装飾より派手なドレスを身に着けた中年の女性たちが、入り口でエスコートについたホストたちに案内されてホールに入り、広いホールのボックスシートが次々に埋まっていく。 客は女性ばかりで、彼女たちの姿も表情も、瞬が想像していたものとは全く違っていた。 彼女たちは一様に自信に満ちており、概して陽気そうに見えた。 「新顔です。よろしく」 マネージャーが新人の顔通しだと言って、まず瞬を連れていったのは、広いホールのほぼ中央にあるボックスシートだった。 指に大きなダイヤのリングをはめた女性客に、ホストが3人ついている。 「あ……僕、瞬といいます。よろしくお願いします」 瞬は、初対面の人への礼儀として、彼女にぺこりと頭を下げた。 実のところ、瞬はまだ自分の業務内容についての正確な把握ができていなかったので、到底 商売用の笑顔を作ることもできていなかったのだが。 「あら、珍しいタイプ」 いかにも やり手のキャリアウーマンといった風情の女性は、瞬を見てそう言った。 彼女の前のテーブルには酒の瓶が数本と、琥珀色の液体のつがれた4人分のグラスが置かれている。 そのせいで、瞬の顔は我知らず歪むことになった。 「う……」 「どうした」 笑顔を作るどころか客から顔を背けてしまった瞬に、マネージャーが低い声で尋ねてくる。 「お酒の匂いが……僕、だめ……」 「なに……?」 瞬の小声の返事を聞いて、マネージャーの顔がにわかに かき曇る。 対照的に、女性客は大々的に破顔した。 そして、彼女はけらけらと笑いながら、マネージャーに命じたのである。 「お酒が苦手なの? じゃあ、この子にはミルクでも持ってきてやって」 「当店では、そういうメニューはあいにくと」 「買ってらっしゃい。幾らかかってもいいわ」 「は……」 マネージャーが女性客に一礼し、彼女についていた若い男たちに目で合図を送る。 彼等が席を立つと、マネージャーは代わりにその席につくようにと、瞬の背中を押した。 「鈴木様は、ウーマンズテンポラリーサービスの社長だ。気に入られて損はない。粗相のないように」 低い声で瞬に耳打ちし、マネージャーもまたその場から離れていく。 そうして、結局、そのボックスシートには、ウーマンズテンポラリーサービスという会社の女社長と瞬だけが残されることになったのである。 知っていて当然という顔でマネージャーが口にした企業の名を、瞬は聞いたこともなかった。 彼女がどうやら女性だけの人材派遣会社の社長だということ、その企業がグラードの傘下企業ではないということだけが、瞬にわかったことのすべてだった。 「女の子みたいに可愛い子ね。いやだ、ほんとに綺麗な顔。これまでどこのお店にいたの」 テーブルを挟んで彼女の向かい側に腰をおろした瞬の顔を遠慮のない目で観察し、女社長が興味深げに尋ねてくる。 「僕、働くのはここが初めてです。疲れて傷付いてる人の心を癒すお仕事だって言われて いたんですけど――」 本当にそうなのか、誰でもいいから納得のいく説明をしてほしくて、瞬は彼女に視線をすがらせた。 それに対する彼女の返答は、 「まあ、ここのマネージャーは口がうまいから」 という、説明になっていないものだった。 が、ともかく彼女はマネージャーの言を否定はしなかった。 その言外の言に勇気付けられて、今度は瞬が彼女に尋ねる。 「あの……あなたもお疲れなんですか?」 「もちろん疲れてるわよ。部下は無能ばかり、仕事もろくに出来ないくせに要求することだけは一人前で。しかも徒党を組んで私に逆らってくる。小さな会社だった頃はこんなことなかったのに、企業が大きくなるのも考えものね」 「……」 彼女が疲れている人間だということは、やはり事実らしい。 その事実を確認した瞬は、だから、自分に課せられた仕事に取り組んでみることにしたのである。 「無能……って決めつけて接するのがよくないんじゃないでしょうか。誰にだって、どこかに長所 はあるはずだし、そこを見付けてあげて、褒めてあげればいいと思うんですけど……。褒められたら、誰だって嬉しいし、それで喜んでる人を見たら社長さんも嬉しいでしょう?」 「まあ、可愛い正論を言う子だこと。守ってあげたいタイプ」 彼女は、瞬の言葉を本気で聞いてはいないようだった。 子供をからかうようにそう言って、彼女が腕を伸ばし 瞬の髪を撫でてくる。 香水の匂いがきつい。 氷河にそうされるのは大好きなのに、彼女に髪を撫でられても、瞬は少しも嬉しくなかった。 「大丈夫か、あの子。サポートをつけた方がよくないか」 「あの女社長、新入りをからかうのが好きだからな。やりたいようにやらせるしかない」 瞬たちのいるボックスシートから離れた場所で、店のマネージャーと瞬の先輩たちが そんな会話が交わしていることなど、瞬は知るよしもなかった。 そして、そんな彼等も、店の入り口で大きな騒ぎが起きかけていることには、その時にはまだ気付いていなかった。 |