星矢のように単純ではないが、瞬は素直な人間ではある。 滅多に嘘をつかず、自分を飾ることもしない。 だから、氷河はこれまで、瞬の気持ちや考えに同感・共感できないことはあっても、見えない・わからないと感じたことはなかった。 もし そんなことがあるとしたら、それは、瞬自身が自分の気持ちを錯誤している時なのではないだろうか。 そう考えて、氷河は、これまで疑いもなく信じきっていた瞬の言葉の奥にあるものを、二人で探ってみることにしたのである。 余計なものを置かない主義の氷河の部屋には、椅子は彼ひとりのためのものしかない。 彼は、それまで彼が腰掛けていた椅子を瞬に譲り、彼自身はライティングデスクの脇にあるベッドを椅子の代わりにした。 ――逆でもよかったのだが、瞬にあらぬ疑いを抱かれるのも不本意なので、彼は自分の方がベッドに移動したのである。 ベッドと椅子に向かい合って腰をおろし、そうして氷河は、彼がしなければならない作業に取りかかった。 彼がしなければならないこと――それは、彼の目の前で小刻みに肩を震わせている瞬の心の真実を探ることだった。 瞬は彼の金色の髪をした仲間を『好き』でいると勘違いしているだけなのではないかという疑惑を解明することだった。 あまり――楽しい仕事ではない。 「……おまえが俺を好きだと思ったのはなぜだ。俺に好きだと言われたからか」 「そんなことで人を好きになる人なんかいないでしょう」 氷河が探求しなければならないことは、それがもし事実であったなら――瞬が自分の気持ちを錯誤しているのであったならば――氷河につらい結果をもたらすだけのものだった。 しばし ためらい、思い切って口を開いた氷河に、いっそ小気味いいほどの即答が返ってくる。 そこから察するに、瞬の『僕も氷河が好き』は、振られる危険性のない安全な人選の結果というのではなさそうだった。 「全くだ。だが、なら、なぜおまえは俺を好きだと思ったんだ?」 一つの好ましくない可能性が消えたことに力を得て、氷河が再度 瞬に問う。 瞬の答えは今度も素早く、また、迷いの色の見えないものだった。 「僕は、氷河といつも一緒にいたいと思ってたんだ。離れたくないと思ってた。氷河の姿が見えないと つらくて、きっとこれが“好き”っていうことなんだと思った」 それは――それならば、瞬の『好き』は確かに“恋”なのかもしれない――おそらく“恋”である。 氷河は安堵の息を洩らした。 その吐息を、つらそうな瞬の声が遮る。 「でも、段々一緒にいるのがつらくなってきて、なのに一緒でないと不安で――僕はただ氷河と一緒にいて、一緒にいることが嬉しくて楽しくて幸せならいいと思っていただけなのに……」 「俺が、一緒にいること以上のことを求めたからか? ――求めていることがわかったからか」 それさえなければ、瞬が今でも あの幸福そうな笑みを見せてくれていたというのなら、氷河は自身がその内に抱えている欲など素振りにも見せなかったろう。 少なくとも、もう少し用心深く瞬に接していたはずだった。 「氷河は普通なんだと思う。僕が……きっと僕が変なんだ。だから――」 瞬は氷河の迂闊を責めるつもりはないらしい。 非が自分の側にあると認識してもいるらしい。 力無く左右に首を振る瞬の言葉に、しかし、氷河は便乗することはできなかった。 おそらく瞬が望んでいたことは、一緒にいると嬉しい人と一緒にいることが、二人の幸福であること――だったのだろう。 “好き”な人と同じ幸せを共有すること――それが“好きでいること”なのだと、瞬は思っていたに違いない。 だが、同じだと思っていた二人の幸福の内容が、実は違っていた――のだ。 「僕は氷河が好きで――あの……したいんだ。したい。氷河がそれを望んでいるのなら、氷河がそれを喜んでくれるのなら、どんなことだってしたい。そう、心では思ってるのに」 瞬は、こういうことでも自身を飾るつもりはないらしい。 それだけ瞬は必死なのだろう。 氷河も面食らってしまうほど、瞬の告白は率直そのものだった。 言葉でここまで裸になれる人間が、なぜキスやセックスを避けたがるのかを、氷河は理解しかねた。 心を他人の目にさらけだすことに比べたら、それは何ということもない行為ではないか。 「あー……。おまえは、つまり、恐いのか? 俺がおまえに無体なことをするとでも……」 「そんなことない。僕はアテナの聖闘士だよ。ずっとみんなと闘ってきて……だから、あの、身体が傷付くことや痛いことは平気なの。まして、それが氷河のすることなら――」 「……」 瞬は、彼が彼の恋人にどういうことをされるのかもわかっているらしい。 そして、触れるだけのキスをしている時には、瞬は心身をくつろがせていた。 となると、瞬は、少しでも性のニュアンスが含まれることを受けつけられずにいる――ということなのだろうか。 そう考え始めた氷河に、その推察に、しかし、瞬は真っ向から挑んできた。 「だから、氷河、僕を……!」 「だから、無理矢理犯せと言われても、できるわけがないだろう」 氷河には氷河の立場というものがあるのだ。 瞬に全く望まれていないレイプの方が、まだ そんな氷河の困惑も知らずに、瞬はどこまでも必死だった。 「どうして! 僕は氷河と一緒にいたいんだよ! 氷河と離れたくない。氷河に嫌われたくない。そのためなら、何だってする!」 「――おまえとデキないくらいのことで、俺はおまえを嫌いになったりなどしないぞ」 平生の判断力を失っているとしか思えない瞬に対して、氷河は殊更落ち着いた声音を作り、なだめるように言った。 途端に、瞬が口をつぐむ。 「俺が信じられないのか」 ほとんど子供をあやすような口調になった氷河に与えられたものは、だが、完全に大人の言葉だった。 「信じることと好きなことは別だもの」 「……」 瞬は、そこまでわかっている。 氷河は、子供をあやす態度ではいられなくなった。 実際、瞬は子供ではなかったのだ。 氷河はすぐに、その事実を思い知ることになった。 「それに……」 「それに?」 「氷河は、そういうの、好きそう……。あの、キスしたり、それ以上のことしたりするのが」 到底子供のそれとは思えない瞬の発言に、氷河は目を剥くことになったのである。 瞬の推察は、実に的確だった。 瞬の言う通り、氷河は自分を性的に淡白だと思ったことはなかったし、事実もその通りだった。 これまで彼が瞬と“清らか”な関係を保つことができていたのは、ある種の余裕の為せるわざだった。 瞬はたやすく その心を変えるタイプの人間ではない。 自分のものにならないなら、瞬は他の誰のものにもならないと、氷河は信じていられたのだ。 ともあれ、瞬にそれがわかるということは、瞬が性的なものを感じる力を有しているということである。 離れるのが不安だという瞬の気持ちは保護者を求める子供の我儘でもないらしく、おかげで氷河は、ますます瞬の萎縮の訳がわからなくなってしまったのである。 いずれにしても、殴ってでも犯せという瞬の要求は、氷河には到底実行できるものではなかった。 相手は、幼い子供の頃から大切に見守り続けてきた“瞬”なのだ。 どれほど優しくしてもしたりないと思っている相手に、そんな無体ができるはずがない。 |