『この調子だとそろそろだろう』
紫龍がそう言った翌日だった。
昨日までは星矢があからさまに迷惑そうな顔をしても氷河の授業内容の報告に来ていた瞬が、朝食の席でも、その後ラウンジに移動しても、ひたすら しおらしい様子で沈黙を守り続ける様を 星矢が見ることになったのは。

いつもならラウンジの中央にある3人掛けのソファの右端を定位置にしている瞬が、今日に限ってはベランダに置かれているウィンザーチェアに腰をおろし、仲間たちと顔を合わせようともせず、心ここにあらずのていで、春の空に視線を泳がせている。

「夕べ、最後までいったぞ。多分」
「うわ、聞きたい時に限って だんまりかよ!」
紫龍に耳打ちをされて、星矢は地団駄を踏むことになった。
瞬を怒鳴りつけるのは、昨日では早すぎたのだ。

早まった自分自身に臍を噛んでいる星矢の前を通り過ぎて、氷河が、ベランダにいる瞬の側に歩み寄っていく。
彼は、瞬の肩ではなく髪に触れて、瞬に、
「大丈夫か」
と短く尋ね、尋ねられた瞬は、
「うん……」
小さな声でそう言って、俯くように顔を伏せた。
髪で半ば以上隠された瞬の頬が薔薇色に染まっているのが、視力抜群の星矢の目にはしっかりと見てえていた。

こんなわざとらしいやりとりを目の前で展開されてしまっては、星矢の方はたまったものではない。
自分の中の“うずうず”を抑えきれず、星矢は、氷河が瞬の側を離れて室内に戻ってくるや、入れ替わるように瞬のいるベランダへと移動した。
そして、殊更に さりげなさを装って、星矢は瞬に水を向けてみたのである。
「瞬、今日は報告がないようだけど、氷河の授業の方はどんな具合いだ? 順調なのか?」

瞬は、昨日星矢に怒鳴りつけられたことなどすっかり忘れているらしく――そもそも瞬の耳に星矢の怒声が届いていたのかどうかも怪しいものだったが――存外素直に、尋ねられたことに答えてきた。
「え? あ、あの……氷河が言うには、僕は勉強熱心で勘がよくて、すごく成績がいいんだって」
そう告げる瞬の瞳が、何か熱っぽいもので潤んでいる。
これまで瞬に色気など感じたこともなかったし、感じる能力も低い星矢の心臓が一瞬停止するほど、今日の瞬の眼差しは昨日までと違っていた。

「へえ。おまえ、優等生なんだ。すごいじゃん」
それまで沈黙を守り続けていた瞬は、だが本当は“そのこと”を誰かに告げたくて仕方なかったのかもしれない。
自分が仲間に探りを入れられている可能性になど思い至ってもいない様子で、瞬は、星矢に微かに頷き、それから目許に薄い朱の色を散らした。
「うん。夕べはすごく気持ちよかったって、氷河、僕のこと褒めてくれたよ。僕、嬉しい……」

(うわ〜〜っ !! )
星矢はもちろん、“それ”が聞きたくて、瞬に話しかけていったのである。
聞きたかったことを、だが、いざ聞かされてしまうと、彼はもはや平静を保ってはいられなかった。
何より、ひどく幸福そうに上気している瞬の頬と表情が、人ごとながら恥ずかしくてならない。
星矢は後ずさるようにして室内に戻り、そのままばったりと仰向けに床に倒れ、更には、ごろごろごろと床でのたうちまわることを始めてしまったのである。

「星矢、星矢、どーしたの!」
突然 腸捻転でも起こしたかのように苦悶の表情を浮かべて床を転がり始めた星矢に驚いて、瞬が掛けていた椅子から立ち上がる。
が、自分が“どーした”のか 言葉にすることができないからこそ、星矢は芋虫のように床を転がっているのだった。






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