左の目を包帯で覆った氷河の姿が大学病院の中庭に現れたのは、それから10日後のことだった。
父親の葬儀のあと、彼の目の手術は、その遺言に従って すみやかに行なわれたのだろう。
両眼を一度に手術しないところを見ると、それは氷河にも医師にも負担の大きい手術だったのかもしれない。

二度と言葉を交わすことはできない、触れ合うこともできない――それはわかっていたのだが、瞬は毎日病院の庭に足を運んだ。
瞬の訪問を待っているのか、氷河は毎日夕刻になると病院の中庭に出てきて、人待ち顔で1、2時間を庭のベンチで過ごす。
そんな氷河を、瞬は、遠く離れた場所から息を殺して見詰めていることしかできなかった。
毎日瞬は、広い庭の外れにある高木の陰に、命がけの隠れんぼをしているような思いで立ち続けた。

氷河は瞬の姿を知らない。
この大学の付属高校の生徒だということ以外 何も――苗字も歳も学年も組も――瞬は氷河に告げていなかった。
もし彼の目が見えるようになっても、彼は瞬を捜すための材料を持っていない。
たとえ氷河が、それでも瞬を捜し始めたとしても、彼はこの世に存在しない“瞬”という名の少女を捜すのである。
彼はその少女を決して見付けることはできないのだ。






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