その夜、氷河は、彼の私室の 寝台と見紛うような贅沢な椅子に、居心地悪く身体を預けていた。 目の前には、また、予言という名の“おねだり”をしにきたらしい瞬が立っている。 予言者の身辺を飾る役目を負った侍女がいなくなったせいなのだろうが、瞬は最近、その身を金銀の装飾品で飾ることをしなくなった。 重たげな服も、予言者としての威厳を演出するために着せられていたものらしく、無理に着せる者がいなくなったら、簡易な服を好んで着るようになったという報告が、氷河のもとには寄せられていた。 着替えも入浴も、瞬は侍女の手伝いを求めずに一人でこなしてしまうという。 食事だけは、無理に食べさせようとしないと まともに取ろうとしないらしいが、餓死するほど食に無頓着なわけでもないらしい。 『実に手のかからない大人しい子供』というのが、瞬の世話を命じられた北狄の者の 瞬への評価だった。 だが。 手のかからない子供――この世に、これほど不自然な存在があるだろうか。 その不自然な生き物が、今、氷河の目の前にいた。 氷河の予想通り、彼が北狄の王の部屋にやってきたのは、今日も“おねだり”のためだった。 「新しい王様、僕、オレンジが食べたいの」 「この国の果樹園は、世話をする者もなくて、どこも荒れ果てている」 「僕、来年まで我慢できるよ。南の高い山の麓のあたりに、オレンジが実るのが見えるの」 「オレンジ……オレンジね」 食べたいものを、来年まで我慢できる子供。 そんなものは、尋常の子供ではない。 氷河の認識では、そうだった。 「オレンジもいいが……俺はおまえが食いたい」 “子供”でないなら、これは“大人”である。 氷河は瞬の手首を掴み、強い力でその身体を豪勢な長椅子の上に引き倒した。 逃げられないように、自らの身体の重みで、瞬の身体を押さえつける。 そうされても、瞬は氷河の手から逃れようとはしなかった。 代わりに瞬の顔を見上げ、それから“子供”のように首をかしげる。 「僕、誰かにカラダをケガされると、未来が見えなくなるの。僕、そんなの恐い。みんなも恐がるよ。王様は、未来が見えなくても恐くないの?」 口調はあどけなく、舌足らずでさえある。 しかし、この子供は、自分が何をされかけているのか わかっていた。 わかっていなければ、そんな言葉は出てこない。 氷河は右手で瞬の顎を捉え、僅かに傾いていたその顔を、真正面に持ってきた。 「恐ろしくはない。未来とは、本来 人には見えないもの、わからないものだろう。そんなものが見えるからといって、おまえに頼っていたら、俺はおまえに支配されることになる。おまえの力を消し去る方が、俺は安心できる」 そう言いながら、氷河は、瞬の白い衣装の裾をたくしあげ、その身体の中心に手を伸ばした。 瞬が本当に男子であることを確かめて、氷河は、今更ながらに軽い驚きを覚えたのである。 「あ……や……」 氷河の下で瞬は身体をよじり、氷河の手から身を引こうとした。 「やめて。未来が見えなくなる。僕、恐い。やめて」 懇願する声が幼い。 だが、その声の幼さとは裏腹に、瞬が口にする“懇願”は、その実 暴行者への脅しだった。 「ね、王様、やめて。僕、王様が知りたいこと、何でも教えてあげる。だから、やめて」 だが、瞬の脅しは、未来は我が手で切り開くものと信じている者には、全く脅威ではなかったのだ。 「やめない。これほどの美形、少々頭が足りなくても、我が物にしたら、さぞかし良い気分になれるだろう」 瞬が身に着けている服の前の合わせを掴みあげ、ほとんど引き裂くようにして、その胸を露わにする。 「や……!」 瞬は、腕を氷河の肩に押しつけ、氷河の身体を自分の上からどかそうとしたが、ブドウやオレンジが好物の“子供”の力では、それは実現不可能な挑戦だった。 「恐がることはない。気持ちよくしてやる。少々痛い思いをすることになるかもしれないが、なに、死ぬほどのことでもない」 嘲笑うようにして掴んだ瞬の腕を広い椅子の上に押さえつけ、身動きができないようにして、氷河は瞬の唇に貪りついていった。 が、瞬がその歯で自身の口中への侵入者を噛み切ろうとしていることに気付いた氷河は、すぐに我が身を引いて、瞬の唇を犯すことをやめたのである。 「放せっ!」 それでも解放されない腕の自由を取り戻そうとして、瞬がもどかしげに両肩に力を入れる。 腕力では到底氷河に敵わないことを悟ると、瞬は言葉で氷河に噛みついてきた。 「そんなことをしたら、1年と経たずに、あなたの軍隊とあなたの国は、この地上から消え去る。それでもいいのかっ!」 「清らかな予言者様の最後の予言が現実のものとなるかどうか、試してみよう」 小気味いいほど吊りあがっている瞬の細い眉を、氷河は楽しげに見詰めた。 その燃えるような瞳にぞくぞくする。 やはりそうだったのだと、氷河は歓喜に似た興奮を覚えていた。 「試すまでもない。この国を蹂躙した西戎の国の者たちは皆、これまで予言者の言葉に依存し続けてきたんだ。この国の民も似たようなものだ。未来を見通せる予言者がいるから、彼等は不安を感じずに生きている、それを運命と受け入れられる、諦めて支配者に屈する。僕の予言は、この国の民を大人しくさせるのに最高に効率的な道具なんだ。それがなくなったら、民は異国人の支配者に対して不信を抱き、支配者に従順でなくなる。これまでの支配者たちは皆、卑怯で愚劣だったが、その点に関しては利口だった。考えるまでもないことだ。僕という都合のいい道具を奉っておけば、何か不都合が起きても、その責任をすべて僕に帰することができる。避けられない運命だったのだと、民を納得させることもできる。少し考えれば、誰にでもわかること。どうするのがいちばん利口か、あなたはそんなことすらわからない愚か者か!」 さすがは言葉を操って生き延びてきた予言者と賞賛したくなるような瞬の長広舌に、その身体を押さえつけたままで、氷河は軽く頷いた。 「その通りだ。それは、少し考えてみればわかることだ。善政を布き、戦をしなければ、民は疲弊せず、国は富む。国が富めば民も富み、富を得た者はその生活の維持を願い、権力者に従順になる。そんなことは、未来を見通す力などなくても、考えればわかることだ。おまえも考えたのだろう」 「……!」 瞬は初めて、氷河の暴力から逃れるためにではなく、身体を強張らせた。 見上げた氷河の青い目は冷静そのもので、欲望のかけらもたたえていない。 事ここに至って、瞬は、自分が北狄の王に はめられたことに気付いたのである。 「おまえは、何も考えていない野の花のような風情を隠れ蓑にして、その聡明さで考え、予測し、西戎の者たちから自分自身を守ってきた。おまえは予言の力など持たない、ただの人間だろう。白痴どころか、恐ろしく頭のいい」 「あ……」 青ざめた瞬の頬に一瞬視線を投げ、氷河は瞬の上から彼自身の身体を取り除いた。 「オレンジの果樹園のことは考えておく」 それだけを言って、氷河は、瞬を一人 その場に残し、彼の部屋を出ていった。 |