「手を打とう。シュンに泣かれては敵わん」
弟に結婚許可証を発行してもらえさえすれば、正直、シュンの兄は社交界での認知などどうでもよかったのである。
もうずっと長いこと、“成り上がり”を蔑み クラスを超えた結婚を認めない無能な貴族たちを、シュンの兄はいつか見返してやろうと思っていた。
だが、貴族たちを見返すことを考えた時点で、その者は既に階級制度に膝を屈していることになるのである。
そんな無意味なものは無視すればいい。
無視して、自然に生きていけばいいのだ――と、シュンの兄は初めて気付いた。

「さすがはシュンの兄君だけある。先進的かつ賢明。タウンゼント商会の発展も当然のことだな。しかも、よく見ると、なかなかいい男ではないか」
シュンとの仲を許された途端に、手の平を返したような世辞を言い募り始めたヒョウガに、シュンの兄はもはや腹を立てる気にもならなかった。
彼ほどクラスというものを無視しきれている男は、現在の社交界には存在すまい。
ある意味ではヒョウガは、シュンの兄がこうありたいと望んだ理想の貴族そのものであったのだ。

「しかし、俺がメイドと結婚することは、社交界から爪弾きにされることを覚悟しさえすれば、法的には何の問題もないが、貴様とシュンは――」
オスカー・ワイルドはまだ牢の中にいた。
二人の関係が露見し、その仲を隠しきれなかった時、最悪の場合は投獄という結末が待っている。
その場合、地位と年齢が上位にあるヒョウガが年少の者を悪の道に誘い込んだと見なされ、投獄の憂き目を見るのは未来のハードウィック侯爵の方なのだ。

「終身刑になるわけでもない。それがシュンへの愛の証になるのなら、俺は牢屋の中でも極寒のシベリアにでも喜んで出掛けていくぞ」
「ヒョウガ……」
ヒョウガの愛の証には感動しつつも、シュンが恋人を見詰める眼差しは不安の色をたたえている。
ヒョウガは慌てて、自身の大言壮語に加筆修正を加えた。
「シュンを悲しませるのは不本意だから気をつけよう。なに、昔は貴族と平民の結婚自体がありえないことだったんだからな。いつかは俺たちも――」
愛から生まれることを禁じる この国の旧態依然の体制こそが間違っているのだ。
そして、間違いはいつかは正される。
ヒョウガは、人間というものに関して、存外に楽観的だった。
そして彼は、愛にまさる力はないと信じてもいた。

「それが100年後だったらどうするんだ」
が、シュンの兄は、さすがにヒョウガほど楽観的にはなれなかったのである。
この問題には、弟の幸せがかかっているのだ。
――とはいえ、今の彼には、シュンの幸福が社会一般で言われるところの幸福とは違っているのだろうということが わかりかけてはいたのだが。
上流階級の人間とメイドの結婚も、当人たちがどう感じていようと、社交界は“不幸な結婚”で片付けようとするに違いないのだ。

「100年後の恋人たちの幸福のための礎になるさ」
「ヒョウガ、素敵……」
19世紀の常識では非常識と判断するしかない男をうっとりと見詰める最愛の弟を見て、シュンの兄は、恋というものが持つ力の強大さ・恐ろしさに完敗した気分になったのである。
(駄目だ、こりゃ)
彼は胸中で、そう呟いた。
そして、安堵したのである。
シュンが幸せになれるのかどうかを、シュンの兄が心配する必要はない。
シュンはたった今、誰よりも幸せな人間なのだから――と。


愛から出る行為を禁じる悪法を 英国政府が撤廃したのは、それから100年後の西暦2002年11月19日。
この日、英国政府はヴィクトリア王朝時代の19世紀に制定され、21世紀になっても残っていた最後の反同性愛法を撤廃し、合意の上での男性同性愛の性行為を合法化した。

それより100年も前の時代にも恋人たちはいた。
クラスの上下よりも、生まれの別よりも、社交界のしきたりよりも、そして人の定めた法よりも強い力に導かれ、彼等は彼等の恋を全うしていたのである。
――100年の昔、英国の恋の物語である。






Fin.






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