『私は、ローマを煉瓦の町として受け継ぎ、大理石の都として残すのだ――』 ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスが その言葉を残して亡くなってから半世紀。 大理石のローマは未曾有の繁栄を謳歌していた。 熾烈な侵略戦争の末にガリアを征服したローマは、今では東西ヨーロッパの大部分と中近東,北アフリカとイングランドの大部分を領土とする、文字通りの世界帝国となっている。 その世界の中心ともいえるローマ皇帝の住む宮廷は、熟しすぎた果物のように腐敗し尽くしていたのだが。 「あの女はいつも下品だが、今日は特に下品に念が入ってるな。あれじゃ、宝石しか着ていないようなもんじゃないか」 皇帝主催の饗宴の警備に就いていたガリア人兵士の一人が、数ヶ月前から皇帝の愛妾としてのさばりだしてきた女の姿を見やり、遠慮なく顔を歪めた。 皇帝の横に皇妃然としてはべっている愛妾は、胸を露わにし――これはいつものことだったが――腰の周囲を隠す布の代わりに、宝石を連ねた下穿きのようなものを――それだけを――身に着けている。 仮にも皇帝の寵愛を受けている女の、品性も慎みもない淫らな姿に、ガリアの兵たちは呆れ果てていた。 だが、饗宴の行なわれている広間の床には、その下品な女と さして変わらぬ格好をした女たちが、まるでゴミのようにあちこちに転がっている。 その女たちに絡むようにまとわりついている男たちを、皇帝は不敬と咎めることもしない。 皇帝自らが彼等より自堕落な行為にふけっているのだから、それも当然のことだったろうが、その当然のことが、ガリアの兵たちには おぞましく感じられて仕方がなかったのである。 ローマは、自国の領土を広げるために、征服した土地を武力だけで制圧することはしなかった。 ローマの文化と技術を移植することで、その地をローマに同化させ、被支配民を自国の兵として採用する、一種の懐柔政策をとった。 今日の饗宴の警護を任されているのは、1年間の兵役を果たすために遠くガリアの地からやってきた異国の――形式的にはローマの属州の――兵士たちだった。 ローマは、新たな領土獲得のための戦いを拡大させすぎたために、他国の侵略のためだけでなく自国の防衛にも、かつては敵であった国の者たちの力を頼むようになっていたのである。 宮廷の警護に駆り出されたガリアの兵たちは、この馬鹿騒ぎとしかいいようのない饗宴にうんざりしていた。 長椅子に横になり、食べては吐き、吐いては食べるローマの貴族たちの飽食も、彼等には、過ぎた贅沢というより、ただの自堕落にしか見えない。 質実剛健を旨とするガリアの人間には、享楽と退廃のローマの気質が根本的に合わなかった――不快ですらあった。 当然、帝国の最高権力者の寵愛を得ながら、下町の娼婦と大差ない ほとんど半裸の女を美しいと思うこともできなかったのである。 「数日前に、新しいアフリカ総督がレプティス・マグナに向かったろう」 うんざりした顔の同僚に、事情通の仲間が物知り顔を向けてくる。 「あの総督は、ローマ人にしては気骨のある将軍で、宮廷の退廃を嫌悪していたんだ。宮廷の堕落に染まることを恐れて――というより、両刀趣味の皇帝の餌食にされるのを危惧して、美形の弟を館の奥深くに隠して育てていたわけさ」 「賢明だな」 総督の行為を常軌を逸したことと思うことなく、ガリアの兵たちが頷いたのも当然のこと。 ここは、男であることは全く安心のよりどころにならない危険な場所なのである。 皇帝は自身の欲望を刺激されれば、男だろうが女だろうが見境がなかった。 かつてローマを支配していたティベリウス帝は、何百人もの美少年をカプリ島の別邸に囲い込んでいたし、カリギュラ帝の男色の相手は一人や二人ではなかった。 ネロ帝に至っては、去勢した解放奴隷の男と結婚式まで挙げている。 現皇帝は、彼等の淫蕩の血を色濃く受け継いだ栄光あるユリウス=クラディウス家の一員だった。 「兄貴を遠いアフリカに追い払って、うるさい監督者がいなくなったところで、皇帝は、温室に隠されていた花を召したわけだ。で、皇帝の寵愛を失うのを恐れた雌豚が、必死に皇帝に媚を売っているというわけさ」 「なるほど。それで、あの浅ましい格好か」 「ふん、くだらん」 真面目に仕事に励む素振りを見せない部下たちを叱りつけることもせず、彼等の噂話を聞くともなしに聞いていたガリア軍の指揮官は、この宮廷の何もかもにうんざりしているように、言葉を吐き出した。 あと ひと月ほどで、彼の部隊のローマでの兵役は終わる。 最近では彼は、一刻も早く故郷に帰りたいと、そればかりを考えるようになっていた。 脂粉や宝石で身を飾るローマの女たちより、素足で野を駆けているガリアの娘たちの方がよほど美しいと、彼は、ローマに来てから強く思うようになっていたのである。 |
■ ガリア : 現在のフランス、ベルギー、スイス及びオランダ、ドイツの一部
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