ヒョウガと同じように、老人は若い頃 金でこの家に買われてきた奴隷だった。 長年の功績に報いて、シュンはとうの昔に彼に自由を与えていた。 解放奴隷となっても、彼がこの館を出ていかなかったのは、彼が世話をしてきた世間知らずの子供の将来を憂えてのことだったろう。 シュンは、彼に、この館にいる奴隷を全員解放すること、彼等に少なくとも今後2年間は生活に困らないだけの金を分け与えることを指示した。 その上で、兄にかけられた疑いを晴らすためにアフリカ総督の弟は覚悟の上で死んでいったと伝えれば、皇帝も兄を疑うことはできなくなるだろう――少なくとも、今すぐ兄を罷免したり処刑したりすることはできなくなる――というのが、シュンの考えだった。 「僕はちゃんと生きてて、ローマを離れてるって伝えれば、兄も心置きなく自分の野心に従えると思うから……一石二鳥だね」 いったん決意をすると、シュンの行動は迅速だった。 なにしろ、明日の朝までには、この館から奴隷以外の人間の姿は消えていなければならないのだ。 ガリアの地まででも供をすると言い張る老人に、シュンは首を横に振った。 「爺はここに残って、館の奴隷たちの世話をしてやって。市内に娘さんがいるんでしょう? お孫さんもいるのに、僕を心配してずっとここに残っていてくれてたんだよね。ごめんね。ありがとう」 「若様……」 老いた身に遠いガリアまでの旅は無理だろうということは、本当は老人にもわかっていた。 「若様が若様らしくあるためには、この腐りきった都より、ガリアの野に在った方がいいのかもしれませんな……」 そこに、己れの忠誠を誓った主人の幸福があるというのなら、どうして引きとめることができるだろう。 シュンの幸福だけを願って、彼はこの館に留まっていたのだ。 それが確かな未来として約束されているのなら、彼にはもう心残りはなかった。 「ありがとう」 金で買った奴隷に礼を言う貴族は、ローマにはいない。 シュンは最初からローマの貴族ではなかったのだ。 数日間ローマ市内にある宿でガリア軍の兵役の任期が終わるのを待ったのち、シュンは、兵役を終えたヒョウガと彼の仲間たちと共に、ガリアの地に旅立った。 心優しい野蛮人たちと彼等の故郷は、ガリアの野に咲くことこそふさわしい白い花を、快くその地に迎え入れてくれたのである。 Fin.
|