信じる力






「自分で自分を犯してみろ」
そう言えば、瞬はそうすることがわかっていた。
ためらいを見せはする――それは瞬の意思だ。
だが、俺には逆らえない――それが、瞬の血の意思。

それは興味深い実験でもあった。
瞬にとっての性行為というものがどういうものなのか、瞬はそれをどういったものと認識しているのか――を確かめる、悪趣味な実験。
瞬は、俺の手で衣服をすべて剥ぎ取られ、全裸で寝台に横たわっていた。
部屋の隅々にまで光が行き渡るように設計されたマンションの寝室の照明は 煌々と室内を照らし、瞬はその光の中心で、俺の命令を遂行するために、自分の羞恥心と必死に戦っている。
「俺も そうそうおまえのために勤めていられない。早くしろ」
「は……い……」

思った通り、瞬は、自分の本来の性器には触れようともしなかった。
固く目を閉じた瞬の白く細い指が、ためらい震えながら、自らの肉に入り込もうとする。
それが、瞬にとっての性行為だ。
確かめたかったことを確かめると、俺はすぐに、自分自身を冒涜しようとしている瞬の手首を掴み上げ、その行為を中断させた。
瞬に、そんなことをさせるわけにはいかない。

その・・行為・・の最中には滅多に目を開けようとしない瞬が、ゆっくりと伏せていた瞼を開けた。
自分が罪を犯さずに済んだことに安堵したから――ではないだろう。
自分が本当にその罪から逃れたられたのか、俺の顔を見て判断しようと考えたからに違いない。

俺と瞬の目が合う。
瞬の潤んだ瞳は羞恥に震え、僅かに赤みを帯びていた。
二人がこの行為に及ぶ時、瞬はいつも、まるで処女のように身体を硬くして、俺の視線と俺の愛撫に耐えようとする。
二人で過ごす夜を幾度重ねても、瞬はそうすることをやめない。
俺とおまえが一緒に寝るようになってから、どれだけの時間が経っていると思っているんだ。
100年だぞ。100年。
俺は、瞬の身体を知り尽くしている。

だというのに、瞬は、100年前の初めての夜にそうだったように、100年後の今夜も、俺の指がその肌に触れる瞬間には必ず、まるで俺の指をナイフの切っ先とでも思っているかのように、恐れの色で全身を覆い尽くすんだ。
もう少し俺に親しんでくれてもいいじゃないかと思う俺の方がおかしいのか? ――と、この瞬間に、いつも俺は思う。
それが普通の反応だろう――と。
俺が“普通”なんてものを求めること自体が、考えてみればおかしな話だが。

俺は、どうやら不死人らしい。
最も古い記憶は 200年前――のロシアの雪原。
普通の人間なら即座に凍え死ぬような極寒の中で、寒さも感じずに母と二人、俺はどこかに向かって歩いていた。
その時、俺は、おそらく3歳か4歳の子供だった。
やがて母は、人間たちが大勢住む町の一つに居を構えた。
母が人間たちの中での生活を始めたのは、その町にあった普通の・・・人間のための教育機関で、俺に普通の人間同様の教育を受けさせるためだったらしい。

“普通の”といっても、当時のロシアの人口の過半数は農奴で、彼等のほぼ100パーセントが文盲だったから、俺は普通以上の教育を受けさせてもらえたことになる。
学問だけでなく――普通の人間たちに接する生活の中で、長じるに従い、俺は、自分が他の人間たちとは違うことも学び知ることになった。
ロシアには吸血鬼や人狼等の不死人の伝説が幾つもある。
俺はそういったものの中の一種族なのだろう。

もっとも、吸血鬼なんてメジャーな化け物と違って、俺は、自分の命を保つために人間の血を必要とはしない。
俺には何も必要ない。肉体的に生き続けるためだけになら。
食べ物も、寒さをしのぐための家も暖炉も、人間は本来孤独な生き物なのだということを忘れるための友人なんてものも、生きて存在するためだけになら必要ではない。
成人し、唯一人の肉親である母と別れてから、時折気まぐれで道連れを作ったことはあったが、俺は、長い時間をほぼ一人で生きてきた――瞬に出会うまで。

『瞬』というのは、今 俺たちが暮らしている国で、不都合なく生きていくためにつけた仮の名だ。
俺が名乗っている『氷河』という名も同様。
瞬の本名は――ああ、そういえば、俺は瞬の親が瞬に与えた本当の名を知らない。






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