城戸邸内の一画で 時ならぬ嵐が発生したのは、誰もが梅雨は明けたと感じているのに、気象庁だけが意固地に梅雨明け宣言を出そうとせずにいる、7月のある晴れた日の午後だった。 家具が壁にぶつかる大きな音と共に瞬の小宇宙の爆発が感じ取れたので、星矢と紫龍は、当然それをアテナにあだなす者とアンドロメダ座の聖闘士の戦闘が起こったためのものと判断し、現場に急行したのである。 しかし。 「敵襲かっ!」 「瞬、大丈夫かっ!」 ――しかし、天馬座の聖闘士と龍座の聖闘士が 轟音の響いてきた部屋に飛び込んだ時、彼等がそこで見たものは、彼等の想像と大きく異なる光景だった。 本来、城戸邸に起居する青銅聖闘士たちの歓談の場である部屋は、割れるはずのない防弾ガラスの窓が砕け散り、ビロードとレースで二重になっているカーテンが引きちぎられ、部屋と廊下を隔てる壁は崩れ落ち、家具のほとんどが壁に叩きつけられ――そして、その衝撃で半壊したとおぼしき安楽椅子の横には、某白鳥座の聖闘士が転がっていた。 「あ……」 息せき切って その場にやってきた二人の仲間の姿に気付き、途端に瞬が泣きそうな顔になる。 敵襲ではないようだった。――氷河が瞬の敵でないのであれば。 「これはいったい……」 一度壁に叩きつけられて落下したらしい氷河の様子を見て、紫龍が、氷河にとも瞬にともなく 呟くように問いかける。 「あの……あの、僕……」 答えを返そうとしたのが氷河ではなく瞬であるところを見ると――氷河が口のきける状態にあったかどうかはともかくとして――この惨事を引き起こした主原因は瞬の方にあるらしい。 仲間たちの顔をちらちらと上目使いに見やりながら、瞬はしどろもどろで事の次第を語り始めた。 「ぼ……僕、風が気持ちよくて、長椅子でうたた寝してたんだ。それで、あの、なんだか人の気配がするから目を開けたら、すぐそこに氷河の顔があって、びっくりして……あの……」 「氷河の顔なんて、見慣れてるだろ。びっくりするほどのもんかよ」 「だ……だって、すぐ目の前にあったんだもの」 「氷河に襲われるとでも思ったか」 紫龍はもちろん、冗談のつもりでそう言ったのである。 が、彼のその言葉を聞いた途端に、それまで気弱げにどもっていた瞬の口調は一変した。 「氷河はそんなことしませんっ!」 瞬の断固とした口調とその剣幕に、その場にいた者たちの中でいちばん驚いたのは、どうやら氷河だった――らしい。 彼は、立ち上がることも忘れ、壁に背をもたせかけたまま、嵐の去った室内に大声を響かせた瞬を映している瞳を大きく見開いた。 そんな二人を見て、このシチュエーションに深刻になるべきか、あるいは笑い飛ばすべきなのかの判断に、星矢は大いに迷ったのである。 不自然に長い間を作ることを恐れ、その答えに至らないまま口を開いた星矢の言葉は、かなり無理のある冗談口調だった。 「いや、でも、実際そーだったんじゃねーの。だから、氷河の邪悪な心を感じ取ったおまえは、反射的に――」 「勝手な憶測で俺を強姦魔にするな! 俺は、可愛い顔して寝てるなーと思って、瞬の顔を覗き込んだだけだ。瞬には指一本触れていない!」 冗談で犯罪者にされてしまってはたまらない。 その場に立ち上がった氷河は、即座に星矢への反駁に出た。 「すぐばれる嘘はつかない方が利口だぞ。瞬という証人がここにはいる」 紫龍が氷河に向ける眼差しも、半ば以上が意識して作った不信のそれだった。 紫龍もまた、彼の仲間がそんな不埒な行為に及んだなどということを信じてはいなかったのである。この時点ではまだ。 だが。 「氷河はそんなことしないっ!」 悪質な冗談を口にする二人の仲間に、瞬が悲鳴のような声で訴える。 それは、破壊され尽くしたラウンジに残響を残すほどの大声だった。 そんなふうに、瞬があまりに必死の様相で氷河を庇うので、紫龍はかえって心配になってしまったのである。 つまり、冗談のつもりで言った言葉が、実は真実を衝いていたのではないかと、彼は思ったのだった。 紫龍はつい、その表情と声音を真面目なものに変えた。 「本当に、氷河がおまえに何かしようとしたのか?」 「だから、氷河はそんなことしないってば!」 瞬が否定を重ねるほどに、氷河への疑いが現実感を帯びてくる。 瞬の必死の否定は、紫龍だけでなく星矢に対しても、同じような作用を及ぼしていた。 星矢が、氷河にではなく瞬に、不審の目を向ける。 「じゃあ、なんでおまえはそんなに向きになるんだよ?」 「仲間を庇うおまえの気持ちはわからないでもないが、それは氷河自身のためによくないぞ。たとえ未遂でも、罪を犯したら、罰を受けるのが氷河自身のため――」 「氷河はそんなことしない……!」 本当にその事実がなかったのなら、笑い飛ばせばいいだけの話である。 瞬はなぜこんなにも必死なのか――星矢には、どうにも合点がいかなかった。 彼の内には、仲間を信じたいという強い思いがあったので――むしろそのために、星矢は尋常でない当惑を覚えていた。 「よりにもよって瞬を強姦しようなんて、命知らずもいいとこだぞ、氷河」 「しかも、まだ日の高いうちから」 夜ならいいわけでもないだろうが――この時点で、まだまだ彼等は半信半疑だった。 「星矢も紫龍も、冗談でもそんなひどいこと言わないでよ。そ……そんなこと無理強いするのって、被害者の意思と人格を無視することでしょう。人間としての尊厳を踏みにじることだよ。氷河がそんなことするわけないじゃない」 瞬の声音がまた頼りなげなものに変わる。 どこまでもあくまでも氷河の潔白を訴えようとする瞬の様子を見せられ、星矢は確信に至ったのである。 信じたくはなかったが、本当に氷河は でなければ、瞬がここまで氷河を庇う理由がない――と。 となると、氷河は軽蔑に値する男である。 星矢は、氷河の方に向き直り、仲間の断罪に取りかかった。 「で? 正直に言えよ。もしそうだとしても、おまえを待たせすぎ焦らしすぎた瞬にも責任の一端があるってことくらいは、俺も認めてやる。情状酌量の余地もないわけじゃない」 「氷河はそんなことしませんっ」 必死に氷河を庇う瞬の声を、星矢は もはや聞いていなかった。 彼の視線は、仲間の人間としての尊厳を踏みにじろうとした男に、まっすぐに突き刺さっていた。 その視線の先で、氷河が、 「するかもしれないぞ」 と、低い声で呟くように言う。 「え……?」 氷河の呟きに驚き瞳を見開いたのは、瞬だけではなかった。 言葉を失った仲間たちに、氷河はそれ以上は何も言わず、ふらりと部屋を出ていってしまった。 |