「沙織さんて暇なのかなー」
「まあ、氷河と瞬の仲がぎくしゃくしていると、本当に敵が現われた時、闘いに支障が出るかもしれないし、アテナは地上の平和と安寧のために、今度のことを画策したのだと思う……ことにしよう」
紫龍の、アテナの酔狂への好意的解釈には かなりの無理があった。
アテナの振舞いを弁護しようとしている紫龍自身が、アテナを慈愛だけでできた女神と信じていないのだから、彼の言葉に説得力がないのは当然のことだったろう。

氷河のためだったという沙織の言葉は、どう考えても疑わしい。
自分たちはアテナの退屈しのぎの道具にされているような気がしないでもない。
そう思いはするのだが、彼等はやはり彼等の女神を憎んでしまえず、また嫌ってしまうこともできなかった。
沙織とは別人格であろうが、神話の女神アテナもアラクネやメデューサ等、傲慢の罪を犯した者たちに対しては かなり過酷な罰を与えているし、本来 女神とはそういうものなのかもしれない。
人と同じように、彼女は善意だけの存在でもなく、悪意だけの存在でもない。
迷うこともあり、間違いも犯し、そしてジョークを解するだけでなく、(悪質な)ジョークを実行することもある人間的な女神なのだ。


「で、結局、瞬は氷河のどこが好きなんだよ」
その女神のおかげで、瞬が氷河の“綺麗な”顔が好きなわけではないことはわかった。
その事実は星矢の当初の認識と合致するもので――彼は結局 振り出しに戻ってしまったのである。
振り出しに戻った星矢は、かくして、事の起こりとなった最初の疑問を再び口にすることになったのだった。

「言わせないでよ」
瞬がぽっと頬を赤らめる。
氷河に抱きついて泣いていたところを、仲間だけでなくアテナにまで見られてしまったことへの気恥ずかしさが、瞬の中にはまだ残っていた。
この上 氷河のどこが好きだなどと正直に告白したりできるものではない。

「言えないようなとこが好きなのか? てことは――」
星矢がそう言って、その視線を向けた場所は、あろうことか氷河の股間だった。
星矢の視線の行方に気付いた瞬が、今度は 羞恥のためというよりは怒りのために、頬を真っ赤に染めてみせる。
「もう、どうして氷河も星矢もそんなこと考えるのっ!」
そういう下世話なことを考えるような相手には、 なおさら自分の真情など語るわけにはいかないというかのように、瞬が口をとがらせて横を向く。
ということは、瞬は とりたてて氷河のそこが好きなわけでもないのだろう(嫌いでもなさそうだったが)。
星矢はますます瞬の気持ちがわからなくなった。

「じゃあ、どこが好きなんだよ〜」
星矢は、ただただ それが知りたいだけだった。
瞬を夢中にさせるだけの何かを氷河が持っていることは確かなのに、その美点に、氷河の仲間である自分が全く気付いていないというのは、星矢には重大な手落ちに思えて仕方がなかったのだ。

見兼ねた紫龍が、あまり言いたくはなさそうな顔をして、そこに口をはさんでくる。
「あのな、星矢。瞬は、氷河のどこが好きというわけじゃないんだ」
「へ?」
「瞬は氷河が好きなんだ。氷河そのものを丸々全部。好きな相手が綺麗に見えるのは、ある意味当然のことだろう」
「……どーゆーことだよ」

何となく――紫龍の言わんといるところは何となくわかったような気もしたのだが、星矢は一応仲間に確認を入れた。
紫龍から、ほぼ予測通りの答えが返ってくる。
「綺麗だから好きになったんじゃなく、好きだから綺麗に見える――ということだな、つまり」

「……」
やはり聞くのではなかったと、正直 星矢は思ったのである。
そんな無意味でありふれた答えのために、本来は地上の平和を守るためにのみ存在する小宇宙を大燃焼させることまでしたのかと思うと、自分が阿呆に思えて仕方がない。

せめて瞬の否定を期待して、星矢はその視線を瞬の上に巡らせた。
が、星矢の期待はここでも裏切られてしまったのである。
紫龍の言葉は真実らしく、その真実を公言されてしまった瞬の、恥ずかしそうに伏せられた頬はひどく明るい薔薇色をしていて、その耳までが同じ色に染まっていた。

「いや、俺はそれほどのものでは――」
衝撃の(?)事実を知らされた氷河は氷河で、これまた照れたような顔を僅かに赤面させていた。
アテナに罰を受けるほど傲慢な男も、こういう時だけは謙虚になるらしい。

「あーあー、そーゆー つまんねー落ちかよ!」
星矢は思い切り がっかりしてしまったのである。
この氷河に 総合的人格評価のもとに恋する人間がこの世に存在することは奇跡の一種かもしれないが、そんなつまらない奇跡のあることを知らされても、星矢には その奇跡の意味と意義が全く理解できなかったのだ。

だが、星矢は、その一方で、もしかしたら これこそが正しい恋の仕方なのかもしれない――とも思ったのである。
人が人に恋をすることは一つの奇跡で、だから、それは余人には計り知れず理解できないものなのかもしれない、と。
自分自身にそう言い聞かせてから、星矢は、意味深い とあることわざを思い出したのだった。

あばたもエクボ。
Love is blind.
恋とは不可解なものである。






Fin.






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