想像の世界が現実の世界に負ける――それは良いことであり、恵まれたことなのではないかと、星矢は思わないでもなかったのである。
氷河の苦悩は深いらしいが、星矢にはそれはひどく贅沢な悩みのように思えてならなかった。
「でもさ、それってつまり、瞬が側にいなけりゃアブナイことにならないってことだろ。瞬が目につくとこにさえいなけりゃ、おまえは冷静でいられるってことだ。いいことじゃん。瞬がいなくなれば、おまえは今度こそ念願の本物のクールになれるぜ」

「俺に死ねと言うのか!」
「おまえは瞬とできないと死ぬのかよ!」
星矢の反問に、氷河は頷かなかった。
頷くまでもなく、『その通り』だからなのだろう。

こうなると、星矢と紫龍は嘆息するしかなかったのである。
氷河の華麗なる想像世界の崩壊はともかく、現実問題として、今彼の身の上には不都合や不幸と言えるようなものは何ひとつ降りかかってきていないのだ。
瞬は氷河を好きでいて、しかも健康で生きている。
氷河は、愛する恋人と(それが彼にとっては悩みであるらしいが)完璧な交合を為すことができ、その行為は彼が望めばすぐに彼のものとなる。
つまり氷河は、将来起こるかもしれない不幸を、勝手に一人で懸念しているだけなのだ。
天が崩れ落ちてきはしないかと馬鹿げた心配をしたの国の男のように。

「まあ……せいぜい瞬に嫌われないように気をつけることだな。あとは、他の誰かに盗られないようにすること」
紫龍に言える助言は、今はそれだけだった。
「そんなことになったら、俺は、俺から瞬を奪った奴を殺してやる」
氷河は120パーセント本気のようだった。
将来起こるかもしれない不都合への対処方法も、氷河の中では既に決まっているらしい。
準備万端とは、まさにこのことである。
「あと、瞬に死なれないようにしなけりゃな。死ぬなら自分が先になるように。瞬のいない世界に、おまえ1人で取り残されたら、悲惨なことになりそうじゃん?」

星矢の軽い口調の付則事項に、氷河はぞっとなってしまったのである。
地上の平和と安寧を脅かす敵の一掃は、地上に住む人々のためだけでなく、瞬を失ってしまわないための――つまりは 自分自身の幸福を守るための急務でもある。
氷河はそう思い、またその完遂を固く決意することになった。

「完璧な性技を身に備えたヴードゥーの女神か。まあ、せいぜい吸い取られて死なないようにな」
紫龍の忠告は既に氷河の耳には届いていないようだった。






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