「ま、先は長いんだ。無理せずゆっくり頑張ることだな」
「ん……」
氷河を好きだから、瞬は彼の望みを叶えてやりたいのだ。
一方に、こうあってほしいという瞬自身の望みもある。
人と人の間で、やはり完璧な一致などというものは、そうそう簡単に実現されるものではないようだった。

「世間に熟年離婚や定年離婚が多いわけだ。世の夫婦たちは、互いの認識の相違に気付かないか我慢するかして長い時間を過ごし、ある日突然我慢している方が忍耐の限界を迎えるわけだな」
しみじみと紫龍が呟く。
彼が瞬の前でそんなことを口にできたのは、氷河と瞬はそういう結末を迎えることはあるまいという確信が、彼にはあったからだったろう。
少なくとも瞬は、氷河への遠慮や諦めのために、自分の要求を表に出していないのではないのだ。

そういう解決法は、だが、星矢の好みではなかったらしい。
彼は不満そうに口をとがらせた。
「でもさ、なら、瞬は氷河と膝を突き合わせて話し合えばいいじゃん。なんで瞬だけが一方的に我慢しなきゃならないんだよ」
「瞬は別に我慢をしているわけではないんだろう。どういうわけか瞬は氷河に惚れきっていて、氷河の気に入るようにしたいと思っているようだし、氷河は氷河で、瞬の術中にはまって自分たちは完璧だと思い込んでいる。もっとも、それを自分には過ぎる幸運と思っているせいで、奴は少々混乱しているようだが」
そう言ってしまってから、紫龍は瞬にちらりと視線を投げた。
瞬からの異論は出ない。
その通りらしい。

「世の中、星矢のように相手に向かって単刀直入に切り込んでいける者ばかりでもなければ、そうしたいと思っている者ばかりでもないということだ。正攻法は正しい解決方法だろうが、それは誰にとっても良い解決方法だとは限らない」
「……めんどいもんだな」
星矢自身には、そんなふうに まだるっこしい問題解決法は実践できそうになかったが、かといって彼は、そういう手段を採らなければならない場合があることを理解できないわけでもなかった。
真正面から立ち向かっていけば 強い力で撥ね返される危険があることくらいは、星矢にもわかる。
それでも星矢はぼやいたが。

「俺なんか、我慢したことも遠慮したこともないのに、破綻せずにおまえらと友だち関係続けてられるけど――」
『それは幸運なことなのだろうか』と疑問文を作る前に、星矢は急に不安になったらしい。
「俺たち、友だちだよな?」
彼は心配そうに、彼の仲間たちに尋ねてきた。
氷河のように、自分で気付かぬうちに仲間に忍耐を強いたり、迷惑をかけていたりするのだとしたら、それは星矢の本意ではなかったのだ。
紫龍が、星矢に苦笑を返す。

「まあ、悪意や底意がないことがわかっているから、そういう自由奔放が許されているんだろうな。おまえも氷河も」
「俺は氷河とおんなじなのかよ!」
氷河と同じものにされてしまうのは、大らかを売りにしている星矢にも さすがに不満だったらしい。
武士の情けで、紫龍は、星矢と氷河を同類項にくくるという大雑把な分類を、とりあえず撤回した。

「全く同じというわけではないだろうな。一見傲慢に見える氷河の我儘は卑屈の裏返しでもあるだろうし。惚れた相手に自分はふさわしくないんじゃないかという不安があるから、氷河はあんなふうなんだと思うぞ」
「俺にはそれすらもないってか」
「無知や無思慮が過ぎると、人は他人に軽んじられて相手にしてもらえなくなるものだろう。その欠点を補って余りある長所があるのでない限り。おまえや氷河にはそれがあるということだ」

「俺や氷河に?」
紫龍のその言葉を聞いても、星矢は全く安心できなかったらしい。
むしろ逆に疑惑が深まったような顔で、星矢は仲間たちに問い返してきた。
瞬と紫龍が笑いながら、だが力強く頷く。
「大丈夫。あんまり闊達が過ぎると思うとこまできたら、僕や紫龍がちゃんと教えてあげるから。僕は氷河とも星矢とも離婚だの破綻だのするつもりはないからね」
瞬は、大切な仲間に明快な口調で断言してから、すぐに氷河を恋する者の顔に戻った。

「でも、まだ、その時じゃないから、氷河には言わないで。氷河は今はちょっと暴走気味だけど、それを無理に止めようとすると、氷河が傷付くかもしれないから。時間をかければ、氷河は自分で気付いてくれると思うんだ。僕は氷河が大好きで、だから無理に2人は完璧なんだと思い込もうとしなくても、僕たちはずっと一緒なんだってことに」
「……」

ヴードゥー教の愛の女神の完璧な性技が 周囲の人間を不幸にせずにおかないのは、彼女が自分のことしか考えていないからであるに違いない。
瞬をそんな女神になぞらえる氷河はやはり何かを勘違いしているのだとしか、星矢には思えなかった。

瞬はヴードゥーの女神とは違う。
この瞬が当事者の片割れなのだから、氷河がどれほど現実認識を誤っていたとしても、2人が破綻することはないのだろう。
そう星矢が思った時、もう1人の当事者がラウンジにやってきた。

「瞬、どこぞのデパートから今年の歳暮の見本が届いたらしい。マロングラッセがあるそうだぞ。おまえ、好きだろう。星矢に見付かって食われる前に――」
瞬の許に貴重な情報を垂れ込みに来た男は、その場に星矢がいることに気付いて言葉を途切らせた。
聞いてしまった星矢が、むっとした顔になる。

それはともかく、氷河も決して自分のことばかりを考えている男なわけではないらしい。
氷河は氷河で瞬のことを気にかけ、気遣っているようだった。――少々 瞬以外の人間をないがしろにするきらいはあったが。

「ありがと、氷河」
瞬は、不愉快そうに頬をふくらませた星矢を横目に見ながら そう言い、我儘で献身的な恋人に向かって嬉しそうに微笑んだ。






Fin.






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