「貴様は、つまり、あれか。人に隠れて必死に勉強して、テストでいい成績をとったら、勉強なんか全然してなかったという顔をして 悦に入る馬鹿者か。努力していることをひけらかす奴も人には好かれないが、努力せずに成果だけを他人に見せるやり方も、利口なやり方とは言えないぞ。人に妬まれやすくなる」
後半が忠告めいてしまったのは、その子供の考え方があまりに幼かったせいで、氷河の中に憐憫の情が生まれてきてしまったせいだったかもしれない。
あるいは、こんな“子供”になら瞬をとられる心配はないだろうという余裕と安堵を覚えたせいだったかもしれなかった。

「妬まれるのは成績がいい奴だけだよ! 俺みたいなのは馬鹿にされるだけなんだ。どうせ……」
食ってかかるようだった“子供”の語調が尻すぼみになる。
両肩を落としてしまった中学生に、瞬は同情を覚えたらしい。
軽く右に頭を傾けて、瞬は彼の顔を覗き込んだ。
「その……『俺なんか』っていうのはよくないよ。頑張ってお勉強してるんでしょう? それが たまたま成果に結びつかなかったとしても、努力する人を誰も馬鹿になんかしないし、もし馬鹿にする人がいたら、少なくとも僕はその人たちを軽蔑するよ」

瞬はいつも正論しか言わない。
それも、優しくしか言わない。
だが、世の中の人間の半分は そういう正論を素直に受け入れられないようにできており、世の中の人間の三分の一は 他人の優しさを疑うようにできているのだ。
思春期・反抗期の子供なら8割がそうだと言っても過言ではないだろう。
彼等は自分の気持ち以外のものには ほとんど意識が向かない時期を生きているのだから。

「上っつらだけの綺麗事 言うなよ! どんなに一生懸命やっても、人並みなこと一つできないつらさがわかるかっ!」
一度は付き合ってくれと申し入れた相手に、その子供は正面きって噛みついてきた。
そんなことができるからには、彼は本気で瞬に恋をしているわけではないだろう。
十中八九そうだろうとは思っていたが、氷河は改めて安堵した。

「いくら勉強したって成績はあがんないし、かといって俺は他にとりえがあるわけでもない。顔は十人並で運動神経は皆無。あんたみたいに恵まれた奴に、俺の気持ちがわかるもんかっ」
しかし、彼が噛みついた相手は、実は瞬ではなく氷河の方だった。
何も知らない子供に、勝手に『恵まれた奴』にされてしまった氷河は、あまりの馬鹿らしさに肩をすくめることになってしまったのである。
いったい この子供は、どういう理屈と論理をその頭の中に巣食わせているのかと、氷河は不思議な気持ちにさえなった。

「一生懸命努力しても報われない者の気持ちはわかるつもりだが」
いくら瞬にアプローチをかけても、氷河はそのたびに瞬に笑ってごまかされ続けてきた。
冗談や皮肉に紛らせて迫ったこともあるが、真面目に正面からその思いを伝えることも、氷河はこれまでに何度もしてきた。
だが、どんな手段に訴えても、瞬の反応は毎回同じだった。
瞬はいつも、“笑ってごまかす”のである。
けんもほろろ というのなら、次の策を練ることもできるが、瞬は決してはっきり『否』とは言わない。
捉えどころのない瞬の苦笑と微笑に出合うたび、氷河は、真綿で首を絞められるような気分を味わわされてきたのだ。
それでも瞬を諦めてしまうことのできない自分を、氷河は時々奇妙だと思うことさえあった。

「一生懸命努力をしたと 貴様は言うが、実際 貴様はどれほどのことをしてきたというんだ? 親からもらった金で通ってる店で瞬に見とれているのは勉強とも努力とも言わないだろう。要するに貴様は努力したつもりになっているだけなんだ。成果がでないのは当然だ」
おそらく彼はひどく要領が悪いか、努力の仕方を間違えている――のだろう。
他人のことならば、氷河にはよく見えた。
では自分の不遇もそういうことなのだろうかと考え始めると、途端に彼は深い霧の中に投げ込まれたように答えのありかがわからなくなる。

人は皆そういうふうにできているのかもしれない――と、氷河は思ったのである。
他人を導き救うことはできても、自分の誤りに自分で気付くことは容易ではなく、自分で自分の迷いを晴らすことは更に難しい。
だから、人には自分以外の誰かが必要なのだろう――と。

「どうせ俺はバカだよ! 他の奴等が1分の説明でわかるところを、1時間説明されても理解できない。どんなに頑張っても駄目で――駄目なんだ、どうせ」
氷河の視線の下で、子供が悔しそうに唇を噛む。
一時的にでも、その態度や口調が攻撃的になるところを見ると、彼は本当に自分を駄目な人間だとは思っていないのだろう。
自分を見捨てることもできていない。

口先だけの卑下。
望んでいるのは、他人からの励ましと慰めと、努力せずに得ることのできる成果。
氷河は、その“子供”にうんざりしかけていた。
なぜこんな馬鹿に 瞬が見初められるのかと、そんなことまでが腹立たしく感じられてならなかった。






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