「愛と美の女神をないがしろにした豪胆王の末裔にしては、あなたは美しすぎるようですが」
国の存亡に関わる重要な仕事を果たすために、ヒョウガはこの南の国まで はるばるやってきたのである。
ところが、いざエティオピアの王宮に入ってみれば、王は不在。
代理の接待役は、“子供”とまではいわないが、“少女”のような顔と華奢な肢体を持った いかにも頼りなげな様子をした王子が一人だけ。
遠来の客に敬意や謝意を表するつもりもないのか、彼は白い薄布一枚の軽装で、少女より白い手足を、惜しげもなく他国の男の前にさらけ出している。

その、やたらと可愛らしい顔をしたオウジサマが、本来の問題とは全く関係のないことばかりを興味津々のていで尋ねてくるのだ。
シュンの質問攻めに、ヒョウガはうんざりし始めていた。
生真面目に正装して王宮にあがった自分が馬鹿に思えてくる。

「本当はそれは ただの伝説なんでしょう?」
「ヒュペルボレオイにはヘラとアテナを祭る神殿はいくらでもあるが、アフロディーテのための神殿はただの一つもない。あながち、ただの伝説とは言えないだろうな。それに――」
「それに?」
「事実、北の国の王家には、恋をして死んだ王や王子が幾人もいる」
「まさか……!」
シュンはどうやら、北の国の王家について語られている様々なことを、事実ではなく ただの噂だと確認することを目的に、ヒョウガにあれこれと尋ねていたものらしい。
ヒョウガの言葉を聞くと、シュンは大きく瞳を見開き、ヒョウガには大袈裟に思えるほどに驚きの感情を露わにした。

「恋をすると、人は客観的な視点を欠き、公正な判断ができなくなる。冷静な判断力を持たない者は公平かつ適切に人を統べることができない。無論、広大な国土を治めることもできない。北の国の王族で恋をしてしまった者は、その恋のせいで自ら破滅していった者もいるにはいるが、その大部分は、重要な地位にいる者が取り返しのつかない失政を犯す前に、彼の恋に不安を覚えた近親の者たちに暗殺されてしまった者たちだ」
「何も過ちを犯していないのに、その可能性だけで――不安だけで殺されてしまうの !? 」
「不安ほど危険な感情はない。国民や臣下に不安を抱かせるだけで、その王は王失格なんだ。俺の父も一族の者に暗殺された王の一人だぞ」
「えっ」

少女めいた面差しをしたエティオピアの王子は、それまで、遠い昔の――古い歴史に登場する王たちの物語を聞いているつもりでいたらしい。
今 自分の目の前にいる青年の父がその伝説の登場人物の一人だという事実を知らされて、自身の無思慮と 意図せぬ冷酷に思い至ったようだった。
聞いてはならぬことを聞いてしまったことを――ヒョウガに語らせてしまったことを――シュンは、今になって悔いているような目になった。

逆にヒョウガは、シュンの軽率への自戒を促すために、わざと尋ねられていないことまでを、シュンに語り続けたのである。
「俺の父の正妃はテッサリアの王女だった。無論、政略のための結びつきだが、正妃が夫に愛されない妻の座に耐えていられたのは、王が他の女を愛することはないと信じていられたからだった――んだろう。しかし、俺の父は 身分などないに等しい俺の母に恋をして、子まで成した。誇りを傷付けられた正妃は故国の両親に泣きつき、娘に愛のない結婚を強いたことを負い目に思っていたテッサリアの王夫妻は父を責め、両国の関係は悪化した。父は、国を憂う父の弟に殺された。僅か20年前のことだ」
「あ……」
「俺は父が死んだ日に生まれた不吉な子だ。だからなおさら、恋はしないと決めている」

シュンの瞳が、実に素直な同情の色を帯びる。
何の力も分別もないような子供に憐れみの感情など投げかけられても、何にもならない。
それは何も生まない。
シュンの瞳に浮かんだ同情を、ヒョウガは無感動に受けとめた――無視した。

シュンは、14、5にはなっているように見える。
たとえ悪意がなかったとしても、軽率が重大な結末や良くない結果を招きかねないことを知っていて いい歳のはずだった。
ヒョウガは実際に シュンの軽率や安易な同情を指摘したり咎めたりはしなかったが、最低限の学習能力があるなら、シュンは自分自身で自らの言動を改めるだろう。
シュンを責める代わりにヒョウガは、エティオピアの王家のやり口について 皮肉な口調で言及した。

「この国は逆だそうだな。美形揃いの王子や王女を各国の宮廷に送り込んで、その国の王女や王子をたぶらかし、縁戚関係を結ぶことで勢力を拡大してきた――と聞いている」
「たぶらかすだなんて人聞きの悪い……。国同士の友好を結ぶために送った親善使節が、そこで愛を見付けただけです」
ものは言いようである。
だが、事実は変わらない。
戦を仕掛けて他国を侵略しようとするよりは はるかにマシなやり方だが、それは要するに“色仕掛け”である。
ヒュペルボレオイの王家とは異なり、極めて個人的な感情と欲望に訴えることで、エティオピアは国を大きくしてきたのだ。

「ふん。そういういい加減なことをしているから、こんな災難に見舞われるんだ。しかも、自分の手ではどうすることもできず、他国の者の手を借りる」
「の……農作物の不作の原因が恋にあるとは考えられないですけど」
「この国には、恋にうつつを抜かして働かない農民や牧夫ばかりがいるんじゃないのか」
「そんなことは――」

そんなことがあるはずがないことは、そう告げたヒョウガ自身にもわかっていた。
昨年までは勤勉だったエティオピアの農民が、急に今年 揃って怠け者になるはずがないのだ。
ヒョウガはただ、国の重大事に際して、年若いとはいえ一国の王子が、優雅に他国の王子に同情を寄せたりしていることが不愉快だったのである。
“恋をすると死ぬ”運命の男に向けられるシュンの眼差しには、明らかに憐憫の色が浮かんでいた。






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